ボーイソプラノを保持するために、去勢された男たち。18世紀のヨーロッパでは、そんなカストラートと呼ばれる歌手がいた。その1人、ファリネッリの歌声は、人々を陶酔の極みに追い込んだ。男も女も、彼に群がる。天才作曲家ヘンデルもそうだった。だがファリネッリの歌声は、イギリス国王と皇太子の確執に利用されてしまう。
この伝説のファリネッリを演じたのは、ステファノ・ディオジニである。彼の美しさと存在感が、バロックオペラ時代のあだ花カストラートを現在によみがえらせた。トランス・ジェンダー(性を超えた存在)ブームがわき上がった世紀末にふさわしい作品だ。3オクターブ半の音域をもつファリネッリの声を再現するため、カウンターテナーやソプラノ歌手が動員されたという。(アルジオン北村)
廃盤になっちゃったけど・・
★★★★★
当時、レンタルビデオ屋でなんとなく借りて見たのが最初でした。
若かったのもあり最初ピンときませんでした。しかしなぜか心に残るものが
あって次の日も次の日もまた見たくなって、何度も見てるうちにはまって
行き、DVDを買ってサントラを買って、気づいたら親も同じように
はまって同じDVDとサントラを買って・・というように人を引き付ける
魅力のある映画です。分かりやすい娯楽映画とはちょっと違いますが、
何度も見たくなる映画です。
脊負っているものと引き換えにファリネッリは舞台の上でだけは
完璧な存在として君臨しますがその儚さが何とも美しいです。
あまり大きく取り上げられず、DVDもすぐに廃盤になってしまって
知らない人も多いですがお勧めです。
これもまたすばらしい。
★★★★☆
仮面のなかのアリアのあとの作品。出た!と思って映画館に走っていったことが思い出。
おすぎさんが、グロいというコメントをこの映画にしていた。確かにそういう面は否めないが、この映画もまたすばらしい。
影あっての光、では……なかった
★★☆☆☆
影、というのは勿論お兄さん。華やかに脚光を浴び、苦悩する姿すら絵になる弟の裏で、もはや一片の救いすらなかった存在。素直に同性としてみても、女性視点でみようとしても、哀れの一言。多分に、物語に責任があると感じる。どんなに美しく、芸術的に価値のある舞台と歌声という仕掛けがあっても、ことあるごとに圧倒的弱者を痛めつける描写が入り込んだ途端、白々しくていい気分はしなかった。幕が下りたとき、私ももう、兄さんを見ないでよくなった、と、ほっとしたという事実を述べておく。そして、彼の凋落していく様を目にして、一切何も感じなかった鑑賞者ばかりではないはず――と、ちょっとだけ真面目に願っている。
イマイチ
★★★☆☆
音楽と衣装・美術は最高なのに、ストーリーに今ひとつ魅力がない。もう少しどうにかならなかったのかなぁと思ってしまう。題材がいいのでよけいに残念。
歌声は合成とのことだが、全く不自然な点はなくすばらしい。が、主人公が口パクなのが見え見え。これも残念。
再現されたカストラートの歌声
★★★★★
この映画は私をソプラニスタファンへと誘う魔性の作品でした。カストラートの歌声を再現するには、その音域の広さから一人の歌い手で再現するのは不可能ということで、カウンターテナーとソプラノの声を合成して創ったということでした。ご覧になったことがない方はそれだけで興味をそそられるかと思いますが、その期待、一切裏切らない素晴らしい出来になっております。
ヴィヴィカ・ジュノーの声のようで、オレグ・リャーベツのように透明感があり、岡本知高のような声量、そしてカストラートという特別な存在、やはりデジタルサンプリングでないと有り得ない歌声ということになるんでしょうね。でも、合成されているといっても自然な感じで言われなければ合成とはわからないんじゃないでしょうか?
とにかくこの作品は、一回目より二回目、二回目より三回目の方が良い、見れば見るほど惹かれるレンタルではなく買うべき作品だと思います。