善悪を決めるのは人の意志
★★★★★
善と悪。
何が善で何が悪かはそれぞれの立場で違います。
よく、「俺が正義でおまえは悪だ」という台詞がありますが、言われたほうも「いいや、ワシこそが正義でおまえこそが悪じゃ」と言い返します。
正義には正義なりの正義、悪にも悪なりの正義が存在します。
立場が変われば善にも悪にもなります。
善、正義とは自分がそうだと思うことを無償で人知れず実行することです。
何が善で何が悪かは刻のうつろうまま。
この世に絶対的な善も悪もありません。
善悪を決めるのはつねに人の意志。
あるあるある!こういうこと!
★★★☆☆
自分がクーラー止めてほしいのに「暑くない?」と言って、他人の欲求として他人の行動で処理させようとする人。いるいる!まあ、こんなの可愛いもんだんけど、他人への悪口や抗議を自分が矢面に立ちたくなくないから、第三者に言わせようとしたり。冷静に指摘したら、逆被害者ぶって無視。でもそうい奴に限って、皆に愛想いいし、初めはいい人って思っちゃうんだよね。誰とも衝突しない人って実は、周りを踏み台にいい人ぶってるだけなんだよね。ひっかからずに上手くかましましょう。まあ、実は皆も気付いてて見てみぬふりしてるだけだったり。まっすぐな自分ももうちょっと上手くやる術をこの本読んで身につけたい。
偽善も善のうち
★★★★☆
偽善という言葉を通して善悪について考える本。
善い行いをすると心に善い影響があり、悪い行いをすると心に悪い影響があると説く。
悪い行いとは、欲、怒り、迷いの感情でする行いであり、心を観察すれば、それらの感情を見つければ、自然とそれらの感情は消えるらしい。
集中力を身に付けて、心の観察に励みたいと思った。
非常に納得できます。
★★★★★
まず著者様の昔の苦い経験に共感しました。
私も同じような経験をして、怒りや欲や無知の心がとんでもなく人を不幸にしてしまうか思い知った一人です。
それ以来、自分の強い怒りのような至極解りやすい「悪」という感情を少しは観察できるようになりましたが、
微妙な悪についてはいまひとつ自分で認識ができませんでした。
自分でははっきり「悪」と認識していなかった感情も、この本で「あ、自分がよく陥る感情のパターンって、実は
明確な悪だったんだ、、」と気づくことがありました。
目から鱗でした。
「偽善」については、
やはり「善い人間になれればいいんだろうな、、」という漠然とした思いはあるものの、
実は心は「いい人間なんかにはなりたくないんだよね、、」という本音もありますね。
でもどちらの思いも「完全に100パーセントそう思っている」ってことはないです。
で、やっぱり悪は割に合わないから、善人になるべく努力するしかないんですね。
そこで、「善いことをしよう、善い思いを持とう」とおもうんですが、
何かそこでブレーキがかかるんですよね、「いや、実は自分はそんな善人ではない」というような。。
自己嫌悪に陥ったりして。。
そんな時、この本が助けになりそうです。
「今は大体善い思いが2割りで本音では悪が8」
でも長期的には善人になろう、、という意思を後押ししてくれます。
「偽善」=「悪」というというイメージを持っていましたが、
「偽善」の中身とは?と考えるようになりました。
そして個人的に一番勉強になったのは、
「欲望ではやる気は続かない」とか「よいカルマがない限り、よい現象は起きてこない」
というお話がとてもわかりやすく為になりました。
「偽善」を役立てる為の本
★★★★☆
「偽善」を善の側面から捉え、善のトレーニングや自己の中の悪感情排除に役立てる為の本。
実用的であり、説得力を持つ。
偽善の「偽」を憎む時期が私にもあった(今もある)。
が、この本は偽善の「善」を中心に捉え、そう捉えるよう意識する事を「トレーニング」と言う。
「「愛」は意志である」と言ったのはフロムだったか。
しかし、小池龍之介はあくまで、偽善を「善」として捉える事での自己の「得」を語る。そこが、これまでの押し付けに近い道徳教育とは大きく違う。
日本での宗教発展は、民間の中に於いては主に「自己の得を得る」事を中心に行われてきた。寺も神社も「効能=何に利く神か」が書いてあり、それを売りものにしている。そういった宗教観を持つ国に於いて、善を広めるにはやはり彼のような「得」を説くのが一番受け入れられやすい気がする。
「欲、怒り、迷い」を「悪のエネルギー」とし、これを減らす事で、自分自身に気持ちいい「善のエネルギー」が溜まると。ほんの少しの悪のエネルギーでも全体のエネルギー量は同じなので、善のエネルギーが減り、心身にに負担をかけるのだ、この彼の論法は平易な言葉で書かれており、非常に分かりやすい。
彼は「法句経」の引用を現代口語的な訳で出してくるが、こういうのをどんどんやって欲しい。
仏教は生活にもっと近づいたものである。
象牙の塔に隠すことなく、我々の傍に、知恵としてある事を出していこうとする彼の姿勢に今後も期待。