自然の簒奪と常識という隠蔽
★★★★★
木村敏は精神病理学者として異常と日常的に向き合っている。
この本は、「異常」ということについて根本から考えた深い思索である。
赤ん坊は「全」としての存在から徐々に「一」としての存在に移る。
私たちが「在る」と言っているものは、私たち自身の知覚行為の中から生じるものであり対象から由来するものではない。
しかし、人間はその奥に不可視の合理的とはいえない「こころ」とか「精神」をつくった。
また、科学そのものが人間の生への意志(無明)から生じたものである。自然から離れ、自然を支配しようとするものである。
合理的自然観である物理的存在というのは人間に都合のいい錯覚(仮象)である。
(離人症の人は、世界は実存性・現実性を失って単なるモザイクに変わってしまう)
この二重の虚構は人間に限りない不安をもたらす。
そして、「異常者」は「正常者」によって構成されている合理性・常識性の世界の存立を根本から危うくする。
このことが、世界から異常者を排除しなくてはならないという理由である。
(あらゆる差別の淵源ではないだろうか)
私たちが「なぜ、生きているか」という、答えのない通奏低音が深く響いてくる。
内容覚えてないけどおもしろくなかった
★☆☆☆☆
結局、自分の世界の視点でしか物事を見れてないんだもの
ぜんぜん客観的じゃない
専門化しすぎてまわりが見えなくなってる
もっといろんなことを考えたほうがいい
まあ、日本人の作品には往々にして言えることだけども
そういう意味ではとても日本人くさいね。
自明性を疑うこと
★★★★☆
精神分析学者である木村敏は、西洋の学問である精神分析によって日本人の自我を分析することに疑問を覚えた。そして彼は道元や西田幾多郎の概念を導入したのである。この本は彼の独創的な著作の中でも入門書として最適だろう。正常と異常、それはミシェル=フーコーが初期の著作「狂気の歴史」において詳しく述べているが、木村の結論は折りしもフーコーが別の機会に語った「私たちは今見ている以外の方法で、世界を認識できるのかということ。それこそ絶対になされなければならない仕事なのである」という言葉を想起させる結論を述べている。その結論については実際にこの本に触れ、体感してほしい。
入門書として最適
★★★★★
香山リカさんが推薦していたので、「ちょっと読んでみるか」という気楽な感じで本書を手にしたのが事の始まりだった。本書を読んだ後、これまで自明なものだった「自分というもの」が、正確に言うと「自己意識というもの」が、もろく崩壊してゆく予感を覚えた。それまでの僕は、人間と動物の区別について一定の見解を持っているつもりだったが、著者の主張によって、人間も動物も根底では変わらないことを自覚した。『自我とは我々の一人一人が偶然性の翻弄から身を守ろうとして発明した虚構に過ぎないのではないだろうか。』別の本でこう言われたとき、曖昧だったものが一挙に統合され、戦慄を覚えた。著者の本4冊目の戦慄だったが、本書を読まなければこの体験とも無縁だったであろう。著者の初期の作品であり、作品の中では極めて分かりやすい本である。