死について
★★★★★
〈生=死〉を考えている。
丸山氏は、ソシュールの研究が有名で、そこから言語哲学。言語哲学から人間哲学と言った感じの流れできた。
だが、丸山氏の視線からすると、全ては別々ではなく、一体のものなのだろう。
文化のフェティシズムや生命と過剰などでたどり着いた地点からはじめているので、ソシュールなどの記号論、言語学に関係することは、全然中心ではない。
そのせいか、かなり読みやすい。
彼なりの哲学だと言う気がする。
色々回って、完全に純粋な哲学になったような気がした。
なにより、この本は死ぬことについて考えさせてくれた。
死ぬことは人類共通で考えるべきことなのだと思う。
丸山氏も言っているように、「〈死〉を忘れたところに〈生〉の意味も悦びもない」のだろう。
最後に彼は何を見ていたのだろう
★★★★☆
もともとは、ソシュール研究の第一人者の丸山が書いた新聞へのコラムだったらしい。
読み始めた当初、あまり面白くなかった。
『ソシュールの思想』など、以前の彼の文章がもっていたチクチクとした刺激的な言葉ではない。またかといって暖かく包摂するような言葉でもない。いずれにしても私が丸山を読む理由はなくなってしまった、と思って読んでいた。
だからはじめの方はかなり適当に読んだかも知れない。
けれども途中から、ただ単に<身わけ><ことわけ>の構造と無意識・意識の関係を整理して生と死についての論を立てるというところに彼の意志があるのではないと分かってきた。
彼は自分の死を受け入れるために書いているのだと思った。3度の臨死体験、1度の自殺体験、2度のガン宣告。これらは本の帯にあることでもあるけれども、そうした自己に立って、死あるいは<死の意識>をどう解きほぐしてしまうのか、と考えていることが浮かび上がってきた。
自分の、経験することのできない死と、その死に向かっての意識。それは近代的に変容した自己意識の産物なのだと思う。
丸山の本は何冊読んだかな?多分、4冊くらい、かな?今回は久しぶりだった。
丸山圭三郎は最後に何を見ていたのかな。
もっと自由な地平を見たかったのかな。それとも彼が見ている自由な地平を伝えたかったのかな。もう少し彼の言葉に触れたかったな。