これが大哲学者の考えか?
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最初の「ヒューマニズムについて」のみコメントする。ヒューマニズムについて「ああでもないこうでもない」と思案している。冗長でやや退屈な文章である。「あやまち」を犯す存在ー教養をもつ存在ー中間的存在ー高き存在ーアリストクラシーといった具合に逡巡している。この大哲学者は「人間であること」ではなく「人間的なものに」に関心があるようである。彼は「『人間』を主張することではなく『人間的』なものに強く関心をもつこと」(16頁)がヒューマニズムであるとしている。「われわれはヒューマニズムを捉えるのに、これを人間と他のものとの間に求めてはならない。われわれはこれを人間の間に、あるいはむしろ人間のうちにもとめなければならない」(同頁)。だからこそ、人間の中において「低いもの」=欠陥存在から始まって、より「高いもの」を求めざるを得なくなっている。そうすると人間内で差別的結果が生じ、その火消しに躍起になっている。そんな印象である。現代では、やはり「人間であること」にもっと注視することがヒューマニズムに繋がるように思う。昨今you tubeをみていて驚くことが多い。オーストラリア人の多くが日本人を鯨やイルカ以下のような発言をしてからである。check out ! それにしても時代が経つと、たとえ大哲学者の思想でも稚拙に思えてしょうがないのは私だけだろうか?