どうかなあ
★★★☆☆
最初のストーリーの進め方と後半のスピードが、まったく違って、戸惑います。中国から帰朝後の展開が、急すぎるように思います。
赤麻呂の努力は空海の「正しい教えとは何か」の考えを覆した!
★★★★★
第3章までに赤麻呂は渡唐への手立てを鮮やかにやって見せるが、実は赤麻呂は本当の赤麻呂ではなく、更には人殺しを平気でやってきたことが暴露される。それは教海にとって衝撃であった。そしてやっと根回しのうちに唐へ行くことができるにあたり、船は浸水、赤麻呂はたぶんこの時、今まで器用に世間を渡ってきた自分に最期の罰を与えられたのか、第4章以降、姿を消してしまう。しかも難破の際おぼろげながら助かった教海は半分、記憶喪失しており新たに遣唐使として渡唐し、空海と法号し密教の奥義を得て最澄より1年遅れて帰朝する。しかし、待っていたのは仕えていた伊予親王の涙ぐましい死の真実であった。本当の王「最勝王」とは何なのか。都が平安京と平城京に2つ存在するかという危機に、空海は心に赤麻呂の処世術を聞きながら対応し、国家の大乱を事前に阻止することに成功する。最澄が中途半端な密教を説くことに空海は動じない。帝に最新の教えを説くことにより民衆に本当の秘密宗を広めていく。作者が「空海が人を殺した……? これは悪夢か救いか……? 生死の呪縛を解き、生滅を超えゆく道への鍵とは」と述べているように、教えには善悪が表裏一体ではないかと思わせる宗教の難しさを解かりやすく解きほぐしている。本当に空海が人を殺したのかは…秘密にしておこう。
生死の呪縛を解き、生死を超えゆく道
★★★★★
あの空海を解きほぐし、「読み物」意識で書かれたサスペンス的時代小説である。
若い空海が、「秘密宗」を知ることになったいきさつや、伊予親王やその兄弟たちが巻き込まれる王権を巡る陰謀など、奈良から平安にかけての仏教や政治などを描いた歴史小説。
赤万呂の過去、殺人事件や船大工の行方不明事件など 赤万呂の人物像が強烈で、主役の真魚(教海)が影が薄いほど。 時代の最先端への憧れが、唐への渡海、そして人を救う道として、儒教、道教、仏教の三教があるが、やはり仏教を第一義とする。四天王像を見事に描き出す阿刀赤万呂。経師の一族の末席に連なる人物で、真魚のおじとは姻戚関係にあたる男。
上京した真魚は、桓武天皇の皇子・伊予親王の家庭教師であるおじ・阿刀大足から、仏教における守護神・四天王のように親王をお守りするようにと命じられる。伝わった「秘密宗」の奥義を説く経を、赤万呂と共に追い求める。4章以降は空海と伊予親王の関わりの謎も明らかになってくる。
空海の戒めのことば「生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し」すなわち、何も学ぶことがなければ、真実の一つも得られないというのである。
繰り返される生と死の中から「魂の解放」を願わざるをえないのである。