スワガーシリーズのファンならば、読むべき
★★★★☆
私は「極大射程」を座右の書とし、スワガーシリーズの大ファンを自認する者ですが、この「四十七人目の男」だけは、ボブがライフルではなく日本刀!を使用したり、日本の描写がかなり変だという予備知識があったのでどうしても読む気が起きませんでした。
しかし、これもスワガーサーガのひとつであるならば、嫌でも何でもボブの生き様は見届けなければ!という義務感のみで読み始めました。そしていざ読んでみると…日本の退役自衛官なのになぜかファーストネームが英語の人が出て来るわ、訳者のせいか日本人同士の会話の場面なのに、外国人同士の会話を日本語訳したような変な言い回しは出て来るわ、さすがに「キルビル」程ではないけど「ブラックレイン」あたりで感じた脱力感に見舞われる場面もありました。それにハンターさん、日本人は「刀」と「忠臣蔵」にはそれほど思い入れは持っていませんよ?
でも読むかどうか迷っているスワガーファンの皆さん!これは間違いなく読むべきです!舞台が日本でも、ライフルを使わなくても、ボブが真の男だということは何も変わっていませんよ!日本と日本人のメンタリティに対する変な描写はあるけれど、アドレナリン爆発の戦闘シーンは健在です。それに少しネタばれになりますが、ボブは最後に泣くんですよ!?私もつられて泣きそうになりましたが。爽快な読後感は、スワガーサーガ中、我が座右の書「極大射程」に次ぐものがありました。
S.ハンター版「忠臣蔵」
★★★★☆
狙撃手ボブ・リー・スワガー(Bob Lee Swagger)シリーズ第4弾です。書評を読むとこれがもう目を覆いたくなるほどの酷評。読んで良いものかどうかちょっぴり迷ってしまいましたが、シリーズの大ファンの私として読まないわけにはいかない、ハンター氏を信じて地獄まででもついて行くのだ、と本書を手に取りました。
読んでみてどうだったか……。なんと”釘打ち師”「ボブ・ザ・ネイラー(Bob the Nailer)」の異名を持つ伝説の狙撃手に銃を持たせず、チャンバラをさせてしまいました。あぁ……、なんと言うか、やってしまいましたねーって感じです。(笑) つまり日本人が読むとディテールに違和感があるんですね。日本を舞台にしており、侍をテーマに日本人の精神世界にまで入りこんで書かれているだけに、当の日本人にすれば「それは違うだろ!」とツッコミを入れたくなるところがたくさんあります。加えて、日本人以外の読者に読ませることを前提にしているので、やむを得ないことながら、日本特有のものについてはくどくどと説明がついてくる。例えば207Pの文章に次のような一節がある。
敵が、刀の血をはらう儀式的な行為、血振りをしているのが見え、
そのあと、修練を積んだことを物語るかろやかな動きで、
刀を鞘におさめる儀式的な行為、納刀をするのが見えた。
これをもし日本人向けに書くならシンプルにこう書けば済む。
敵は血振りをすると刀を鞘に納めた。
これは訳者が悪いのではない。訳者は出来るだけ原文に忠実に訳すことを心がけたに違いないのだから。では、ハンター氏がなぜこのようなくどい表現をしたかといえば、日本人以外の読者にはこのような書き方をしないと解らないからだということは明らかであろう。日本オタクで時代物映画を熱心に観ていればともかく、普通の外国人は人を斬った後血振りが必要なことなど知らないし、納刀の際の儀式的な動き、すなわち、左手を鞘の口に添え、鍔に近い刀の背を左手に当て、その刀を左手の上を滑らせながら切っ先まで引いて鞘に納める一連の動作を思い描くことなど出来ないからである。
そのような違和感を我々日本の読者に感じさせはするが、そこには目をつぶって読み流し、むしろハンター氏の持つ「侍あるいは日本人の精神世界に対する畏敬の念」を感じながら物語を読み進めると良いでしょう。実際にハンター氏は多くのサムライ映画を観ているようです。ハンター氏による謝辞にも、氏が最近のアメリカ映画のていたらくを嘆き、サムライ映画『たそがれ清兵衛』を賞賛するくだりがある。本書を読めば、氏が日本的なものにかなり傾倒していることがありありと判ります。本書は「スティーヴン・ハンター版・忠臣蔵」です。黒澤明監督の『七人の侍』をジョン・スタージェス監督が『荒野の七人』としてリメイクしたように、ハンター氏はボブ・リー・スワガーを主人公にしたサムライ映画を作りたかったに違いありません。我々は『荒野の七人』を観るように、この小説を楽しむべきなのでしょう。
日本で活躍するガイジンの話としてはいいと思う
★★★★☆
孤高のスナイパー、ボブ・リー・スワガーが日本にやってきて敵を相手に日本刀で立ち向かう。この設定は、当サイトのレビューで散々な批評をされていますね。多くは、日本の描写はありえない。現在の実情と違う、イメージしているボブ像が壊される。など、駄作と酷評されています。
私自身このシリーズは冒険小説で設定や敵役キャラクターなど今までもけっこう荒唐無稽なキャラがわんさか出てきたように思いますが。そこで舞台が日本になるとどうしてみんな過剰に拒絶してしまうのでしょうか。見たことのない世界についてはどんなに荒唐無稽でも楽しめて、知っている世界(日本)でのことには現実との整合性に執着するメンタリティはどこから来るのでしょうか。また、知っていることとは?客観的な事実とは?日本の現状認識は私たちは主にマスコミュニケーションに、またそれの監督機関にずいぶんと歪められて伝えられていると私は考えています。それらの情報源をもって事実と感じていること自体が歪んでいるとは思いませんか。
生活経験のない地域(特に海外)を舞台にしたり、過去の歴史的事実を描写するに当たっては、参考資料を参照することは大切なことですが、その上で著者の主観が介在することはごく普通のことだと思います。以前に似たような本を読んだことがあります。ウルトラ・ダラー (新潮文庫)こちらは長期間海外で暮らしていたジャーナリストが、日本を舞台に日本で活動する海外のスパイに関するものなのですが、印象はむしろ本書と逆でした。日本に関する描写に大きな間違いはありませんでした。やはり情景描写が詳細なのですが、単なる情報のの羅列で表面的でした。日本文化への愛については本書の方がはるかに高かったです。小説として本書の方が圧倒的に優れており私なら本書の方が数段面白いと思いました。
私、スティーブンハンター好きなんですよ?でもこれは…
★★☆☆☆
翻訳版が出るのが待ち切れず、英文のハードカバーを読んでいました。
ボブリーが成田にいる!靖国神社を歩いている!!ってんで結構大喜びしてたんですが…
ショーグンが出てきて「撮影」やってるあたりでうんざりしてきて放置してました。日本語版だと、上巻の終り近くですか。
そしたら翻訳版がでた。英文に戻るのがめんどうだったのと、思いっきり違和感を感じた斬り合いのときの掛声などが翻訳ではどうなってるのか興味があったので日本語版を買いました。
まあ、翻訳の人がんばってたと思うけど、はっきり言って日本語としておかしい表記が多い。ひょっとして、翻訳の人、下手なのかな・・・よくわかんないや(^^;)
イオウジマでの戦いの描写は良いのに、日本が舞台になるとどうしてこうなっちゃうんだか…
作者が日本刀に思い入れるのはわかるんだけど、今の日本に生きている日本人である私の感覚からすれば、やっぱりおかしい。ありえない。特にショーグンという奴の動機がわからない。
なんで矢野さんご一家があんなことになるのか、どうしても納得いかない。
最後の敵との対決は、KILL BILLが頭の中に浮かんで仕方なかった。
イオウジマの戦い、そこでアールに起きたこと、そのあたりがあるのでかろうじて★二つ。
もうボブリーも還暦ですから、スワガーサーガのボブリー編はこれで終わりなんでしょうね。なんで最後にこんなダメダメを出すかなぁ…
忠臣蔵・・・?(苦笑)
★★★☆☆
下巻ではボブが行動に出るのだが、とにかく今作では過去のシリーズの様な元海兵隊・伝説的スナイパーとしてのボブの姿が封印されている。
日本が舞台であるため、アメリカを舞台にした今までのシリーズの様に派手に銃撃戦・・・というのはリアリティが無いし、困難であるというのは分かる。
しかし現在の日本でヤクザが日本刀で戦い、ボブもまた刀で立ち向かうという展開は微妙だ。
海外の読者ならば神秘的で興味深いと思われる展開や描写も、我々日本人が読むと大袈裟だし違和感を感じてしまう。
赤穂浪士の討ち入りを模したシーンには「・・・」という気分だ。
ハンター自身は、お気に入りの忠臣蔵をボブで描けてご満悦なのかも知れないが、あんまりな展開である。
日本が舞台の今作品はハンターにとって、ある意味実験作なのかもしれないが、普通に小説として見た場合には完成度が低く、はっきりいって駄作としか評価出来ないのが実に残念だ。
結局のところ、今作はどうしても自身の手で時代劇を描いてみたい、という動機が先にあり、ボブはその手段に使われてしまったのだろう。
これが本当にボブの最終作だとしたら、本当に悲しい。