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脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史

価格: ¥1,974
カテゴリ: 単行本
ブランド: 技術評論社
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意識の謎を明快に解説 ★★★★☆
意識とは何か、という疑問に著者は「受動意識仮説」を主張している。「無意識下で並行処理された結果として、幻想にすぎない意識が生ずる」ことが、わかりやすく解説されている。「人間の選択的行動は、実は無意識の下した結果の追認にすぎない」ということだ。

では意識は何のためにあるのか?という疑問がわくが、その答えはエピソード記憶をするためである。よって「意識から無意識へのわずかなフィードバックがある」としている。

ただし、フィードバックがあるとすると、幻想にすぎないはずの意識が、物質である脳に、エピソード記憶という相互作用を引き起こす力の源は何であろうか?という疑問が残った。このあたりが、素通りしているようなのは残念だ。

最後に収録された哲学者2人との議論は、予定調和ではなく、大変興味深かった。どのような結論になるのか、最後まで緊張感があった。

この種の本は、専門的な定義の言葉使いをしているものが多く、敬遠しがちであるが、本書はポイントを押さえ、わかりやすい言葉を選んで解説されている。このような一般向けの解説書が増えることを願う。
意識=幻想論の思想/科学史 ★★★★★
著者がここ最近、精力的に提唱している「受動意識仮説」の観点から、世界の思想・哲学や宗教あるいは現代科学(心理学)の知見を捉え直してみる、という趣旨の本。概括的に紹介される思想・学説自体は通り一遍の理解といった感じで浅薄だが(専門的にはそれぞれややこしい議論が分厚く蓄積されていよう)、しかしそれらに加えられる新たな切り口、すなわち著者の仮説にもとづく独自の解釈の仕方が非常におもしろく読めた。
「意識」は一種の「幻想」である。それは無意識下で分散的に処理されている無数の知覚情報および非自覚的な行動の一部を、事後的に承認しそれを〔エピソード〕記憶として保持する際に生起している感覚でしかない。霊/肉の二元論的な意味での実体的な「意識」(≒霊〔魂〕)は存在せず、あえて「意識」を語るとすれば、それは特定の物体の内側で機能している諸種の生き生きとした感覚情報、いいかえればクオリアの断続的な現象でしかない。
容易に予想されるように、こうした仮説に適合する思想/宗教は、「縁起」と「空」という非実体論的な立場から世界と自己のあり様を説き明かす、仏教である。超越神が人間に固有の使命を与えるといった発想を持っているキリスト教には、あまり適合的ではない。また西洋哲学史でいえば、ヒュームの「知覚の束」としての人間存在論や、構造主義以後の反主体論的なポストモダン思想がこれに近似し、デカルトの自我論などは真っ向から対立する。かくして著者は、主に仏教をはじめとする東洋思想(あるいは日本の「和」の美意識)に強くコミットしながら、古今東西の知の諸相に簡潔な評価/批判を加えていく。
さらに、本書の最後の章では、現象学の専門家である斉藤慶典氏、そしてギブソン生態心理学をベースにした哲学者である河野哲也氏との対談が掲載されている。あくまでも生活世界的な認識から出発することで著者の「一元論VS二元論」の対立のさせ方に反省を迫る前者の意見も学ぶところ多かったが、けれど後者の対話が特に興味深かった。ロボット工学で得てきた知見にもとづき思想・哲学の方へと旋回してきた著者と、哲学専攻ながら実験科学的な議論を貪欲に取り込みオリジナルな思索を深めている河野氏が、はじめの内はお互いの論説にいくつかの疑問を提示しつつも、次第に、案外同じような考え方をしているようですね、という所に落ち着いていく様子が、実に刺激的だったのである。
人間とは何か?様々な思想・科学知を動員しながらその秘密に迫る探求の道の最先端が、ごく読みやすくまとめられていて素晴らしい。