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恋愛の昭和史 (文春文庫)

価格: ¥630
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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健全な恋愛とは ★★★☆☆
小谷野さんのブログのファンで、実は毎日チェックしている。ブログはねちねちとした毒舌で満ちており、爽快感はないが、興味深く読めるテーマが多い。特に禁煙ファシズム反対運動についての議論は文章にも力が入っているし(「ねちねち感」も含む)、説得力がある。

本書は、昭和の文芸分野での恋愛描写の変遷を追い、日本人の恋愛感について扱った一冊。売春、婚前交渉、自由恋愛、精神的/肉体的恋愛、避妊の是非、などが主要テーマである。

おもしろかったのは、福永武彦らのキリスト教文化を持ち込んだ作家ら、さらには影響元であるジッドを鋭く批判した箇所。曰く、彼らキリスト教かぶれ作家が、むやみと「精神的恋愛」の価値を強調したために当時の日本の青少年・少女が無駄に苦しむ結果になったという。「武士は食わねど高楊枝」的態度が称揚される国では、日本人たるものはセックスしなくても精神的に満ち足りていればそれでよしとせよ、という態度が支持されやすかったのだろう。実際には男子の楊枝は、常に高くなったまま解決の捌け口をいつも探していたのではないかと想像する。不健全である。

雑誌に載せられる小谷野さんの写真や氏の陰湿で攻撃的な文章からは、失礼ながら健全で健康的なイメージは受けない。また、意図的にそのようなイメージを与えるように振舞っているようにも感じられる。しかし、実のところ氏は健全な社会の在り方(禁煙ファシズム反対論)や健全な男女のあり方について非常に意識的な、「健全論者」であるように思われるし、その内容には、建前ばかりの皮相的な議論に比べると示唆的な部分が多く含まれるように思う。
これで600円は安いと思います ★★★★☆
2005年3月発行のものが文庫化されました。
その当時のもののレビューに概ね納得します。
例えば、膨大な資料に目を通した筆者の力量、そして巻末の年表といった付録。

個人的に楽しめたのは、私と同時代性が強い、昭和後期からのものでありました。「学歴と恋愛」、「歌謡曲の時代」、「自由恋愛の中の不自由」といった章が該当すると思われます。

「歌謡曲の時代」では、歌詞というテクスト?を使用しつつ、例えば、「男の片思い」を歌ったものは、この「歌謡曲の時代」まではほとんど見当たらないなどというあたりなどは、最近のJ-POPなどと照らし合わせれば異論もあるでしょうが、筆者の広範囲な調査に脱帽しました。

筆者の本は初めて読みましたが、『もてない男』の時代と筆者の考えが変わった箇所と変わっていない箇所も明瞭であると思います。
おもしろすぎる通俗小説から昭和の恋愛を考える ★★★★★
 尾崎紅葉「金色夜叉」あたりから村上春樹「ノルウェイの森」あたりまでの小説を読みながら、明治から昭和にかけて、恋愛観、結婚観がどう変わってきたのか論考している。もちろんそこには小谷野氏の“私”が色濃く出てきて、「失恋」という主題を追究したり、東大生はモテるか、ということを検証したり。
 それにしても凄いのは、膨大な量の小説が参照されていることで、この点では小谷野氏の右に並ぶ者はいないかも。いわゆる名著だけでなく、今では誰も読まないような作品も丹念に拾っており、そういう作品を論じた時の方がおもしろい。と言うかおもしろすぎ。古くさいとは言え、確かに「真珠夫人」も「僕たちの失敗」も昼ドラになっているしね。「東京ラブストーリー」や「ふぞろいの林檎たち」など、マンガやドラマも同等に真剣に考察するあたりがまたいい。昭和の歌謡曲を扱った章も秀逸だ。
 ヒロインたちを追って見て行くと、見合結婚が当たり前で、恋愛結婚が許されなかった時代から、恋愛結婚が当たり前になり、婚前交渉が是か否かを問う時代になり、ついには恋愛しないなら結婚しなくてもいい“負け犬”世代へ。案外短い間に常識が変わることに驚く。
 昭和三十四年に一夫一婦制を疑問視する本が出ていた、という話もおもしろい。この「姦通のモラル」という本では、互いの婚外恋愛を認めあうことこそ夫婦の愛、ということが書いてあるのに、著者自身がそれを実践しきれなかった様子。このテーマは小谷野氏の「帰ってきたもてない男」に引き継がれている。縦軸に昭和という時間の流れ、横軸に小谷野氏の独自のテーマ性が並んだ魅力的な一冊と言えるだろう。
 
小谷野氏のファン ★★★★★
年表が6頁索引が23頁というさすが大家の近著。学者の本と力まずに読めるのは第18章の「自由恋愛の中の不自由」。負け犬もでてきます。
     著者の読書量に脱帽。さわり本としても大いに役に立ってくれる。
「ノルウェーの森」’87のベストセラーで400万部を売ったそうだ。
読んでいない小生に「あたかも当然のごとくに高校生や...のセックスが描かれていて...」と内容のさわりを教えてくれる貴重な本。
     売れた部数がすごいだけあって、髙島屋の屋上の鯉の池がつぶされたのを見て
ここは村上の「...の森」にでてきたんですよ、と見ず知らずのサラリーマンが感慨深げに、おしえてくれたのは2ヶ月くらい前のこと。
ねぇ、恋愛がだめでも見合いがあるさ。   
勇み足あるがゆえの批評性? ★★★★☆
 表題の通り、主に昭和期の文学作品の中から、恋愛・男女関係を描いた作品を拾い上げ、分析・記述していく。取り上げられる作品数は膨大な数に上っている。

 博論「<男の恋>の文学史」の続編を意識したと言うだけあって、考証的な記述の占める紙数も多いし文体も硬めで、いわゆる研究論文に近いテイスト。特に風俗小説史研究として見れば、ひとつの達成に違いない。しかしその分、恋愛表象のジャングルを潜り抜けていくような辛抱強い議論の展開で、悪く言えば見晴らしが利かず息が詰まる。

 とは言え、あとがきで著者自身が断っているように主観的な価値判断や社会・風俗についてのある種の「臆断」も随所に盛り込まれており、エッセイ・文芸評論的に十分楽しめる。ということは、純粋に研究的な価値からすると、やや冒険的に過ぎる部分も含むということだ。

 内容的にはほとんど文学作品に描かれた恋愛の分析・記述なので、「恋愛表象の昭和史」と銘打った方が的確なようにも思える。ところが著者の筆はそこに留まらず、文学的表象を現実の男女関係とさまざまに関連づけていく。しかし文学的表象と現実社会の状況との関連づけに関する一貫した方法論が著者にあるとは思えず、直感的・印象論的な議論になっている傾向が強い。特に17章・18章になると史料として歌謡曲やマンガ、マニュアル本などを前面に押し出してきて、ハンパな社会学みたいな議論展開になってしまう。そこに、世間に流通する先入見に頼るある種の通俗性が忍び込んでいる恐れは大。

 もっとも、「恋愛」と「恋愛表象」との偏差をあえて踏み越えるところに本書の娯楽性が生まれているのであって、この娯楽性は批評性と言い換えてもいい、と私は思う。実際、単なる「恋愛表象の考証学」じゃあ、「ヘェ、よく調べましたね」てなものだし。