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TAKESHIS' [DVD]

価格: ¥3,990
カテゴリ: DVD
ブランド: バンダイビジュアル
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   北野武の監督12作目は、観る者を混乱せせることを彼自身が楽しんでいるような仕上がり。その複雑な構造を受け入れられるかどうかで、評価が変わるはずである。監督が演じるのは、コンビニでバイトする俳優志望の「北野」と、彼があこがれる人気俳優の「ビートたけし」の2人。幻想と現実、さらにビートたけしの演技部分の区別も判然としないまま、物語は暴走するように展開し、幻想のなかにも幻想が…と、複雑さは加速化していく。場面が切り替わるたびに、どの次元なのか分からなくなるのだ。
   共演者たちも、それぞれのレベルで別の役を演じたりするのだが、岸本加世子はつねに主人公を批判する人物だったりと、役割は固定されているのがユニーク。『ソナチネ』『HANA-BI』と、自作へのオマージュともとれるシーンも多く、コンビニの店員の衣装など映像は『Dolls』のごとくカラフルだ。とにもかくにも“感じる”映画。監督の新たなチャレンジ精神には、ほとほと頭が下がる。(斉藤博昭)
誰の心にも潜む恐怖と焦燥 ★★★★☆
 タイトルが全てを現している。
彼の中には沢山の自分が存在し、偉人ならではの心境と莫大な情報の渦中で彼はきっと数年に一度迷い込むのだろう。
誰に向けて作ったのかと聞けばきっと自分の中にだろうし、今までの彼が撮ってきた作品の好きな題材がこの作品には一番よくでてくる。
(銃、海、ヤクザ、タクシー、強盗、タップetc)
監督だとか、芸人だとか、くだらないおじさんだとか、きっとジャンルの中の一括りされたくないのだろうし、
映画なのか私小説なのか彼にはそんなことどうでもよくて、
とにかく観終わった後はやっぱり彼は自分を殺すのだとわかったけど、
そこから蘇生して、また新TAKESHIが生まれてくるのだろう。
ものすごく怖い映画だけど、やはりこんな作品は彼しか創れないだろう。
彼の作品は好きだけど、あんまり何度も観たいとは思わないかな、彼がすきだから。
北野作品の迷路? ★★★☆☆
座頭市で大ヒットした北野武監督は、スポンサーに前回儲かったので、今回は好きなものを作らせて欲しいとお願いして作ったのが、本作のようだ。

本人はスランプのときに撮影したと発言しているとも聞いたが、面白いといえば面白い、難解といえば難解な作品で、私に作品の優劣を評価することは出来ないと思いました。

しかし、この人の作品はヤクザと発砲が本当に多いな。なにか監督の胸の奥に渦巻くものがあるのかな。
吐き気 ★★★☆☆
際限なく続く思考の流れ。
切りのない自意識との戦い。
自我の底から露出した断層面の、わけのわからない模様。
すべてを断ち切り、刺しちがえて、映画みたいにきれいさっぱり終わらせてしまいたいと願っても、
常に野暮が入り、自分という存在は続いていく。

幾何学的なシナリオ構成。頻出するセルフパロディ。パズルのように配置され、繰り返される台詞。
ブロッコリやロマネスコのような、フラクタル野菜のごとき気持ち悪さが映画全編を覆っている。

きっと本作そのものが、己の意識に対する吐き気なのだ。
まるで人生のように退屈で不気味。
二度見たいとは思わない。
不退転 ★★★★☆
 非常に怖い映画を観たような気がする。

 唐突な暴力や奇妙な映像演出など、北野武が作品を撮る上で重要なファクターと
しているものがこれでもかとぶち込まれ連続する様は、作品に登場する俳優や女優に
複数の役を与えて様々な場面で登場させ、繰り返し死なせたり同じセリフを喋らせたり
するという特異な手法とあいまって、これまでに自分が映画監督として獲得してきた
ものをここで全て使い潰してゼロになってしまおうとしているかのような印象を受ける。
これまでの北野映画が個人の死を描いていたとすれば、これは監督としての北野武の死を
目的としているように思えた。
 ただこの映画が凄まじいのは、何もかも終わりにしてしまいたいというその願いさえ
叶うことがないことを、同じ作品の中で示しているように感じられることだ。殺しても
殺しても、死んだ相手が蘇ってくるので、また殺す。傷つけあう中で武だってもちろん
負傷するのだが、どれだけ深手を負っても息絶えることができない。とっくに死んでいる
はずなのになぜか生き続けるか、場面が変わってリセットされるだけだ。終わりがない。

 劇中劇で、北野武が敵対するヤクザと銃を向け合うシーンがある。「どうする?」と
相手は訊く。引き金を引くのか、やめるのか。そこでやめる北野武ではない。そして、
そこで死ぬ北野武でもない。観ている側にも、そしておそらくは撮っている監督の側にも
行く末のわかっている銃撃戦を、北野武は続けていかなくてはならない。『TAKESHI’S』
という映画は、「武、死す」を意味する可能性もあるとのことだが、観ていてむしろ、
色々な意味での「死」に向かうための選択肢を全て取り上げられ、否応なく前進して
いかざるを得ない苦闘と、それに付き合い続けることを決めた覚悟のようなものを感じた。
映画監督としての自身のあり方に対する、北野武なりの一つの回答を見たように思う。
京野ことみが脱ぐ、それでええ。 ★★★☆☆
よく映画を観た後でその映画のテーマすなわち何を訴えたかったのかを熱烈に語る者がいる。でも果たしてその行為が重要なことなのだろうか?

映画は映像をいくつも繋いだモノである。さらに突き詰めていけば絵を繋いだモノである。特に北野武の映画はその『編集』が要であってその美しさや斬新さを楽しむことができる映画を常に提供し続けてくれている。そういったなかで映画にテーマを求めることに果たして意味があるのだろうか?
そんなことをいちいち考えながら観るよりも全裸の京野ことみを楽しむことに集中した方がよい。ほんの少ししか出てこないその一瞬も見逃してはなるまい。メガネ美人のようなギャップを楽しもう。ただしこの場合は清楚を謳っているAV女優とは意味合いが異なる。

それにしても砂浜でバレエを踊るシーンは最高だった。すごく映画的な演出だと思うし、塚本晋也の映画にもそれに酷似したシーン(映画ヴィタール)があったのを思い出した。 浜辺のシーンを観ていたらソナチネが無性に観たくなった。自分の作品をさらに観たくさせるなんてすごい監督だ。