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アジア史論 (中公クラシックス)

価格: ¥1,523
カテゴリ: 新書
ブランド: 中央公論新社
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「人生観は即ちその人の歴史観に外ならない」 ★★★★☆
 まず何を措いても、『アジア史論』との表題から生ずるであろう誤解のなきように、注意を
促すところからはじめねばなるまい。
 中国史の泰斗にして、しかしその座に安んじることを拒む氏に言わせれば、「内とか外とか
言うのは元来比較的、相対的なもので決して絶対的な分ちかたではない」のであって、「所詮
人類は総括的に観察すれば一つの群れで」しかない。そこからして「当然あるべき歴史の姿は
世界史の外(ほか)にない」。
 恰も「地球人類の争いに全く利害関係のない火星人が、無限大の距離から眺める」が如き、
客観的な相からの世界史構築の可能性を信じてやまぬ宮崎氏のあまりに大局的なスタンスに
ヘーゲル‐マルクスの香りをほのかに嗅ぎつけるのは決して私の錯覚ではなかろう。
 東アジア、西アジア、ヨーロッパ、とひとまず世界史に三区分を設けた後に、交通と経済を
鍵概念として、その相互干渉のもとで、それぞれの地域において古代史、中世史、近世史へと
移行が果たされた、とするのが氏の見立て。それを披露するのが「世界史序説」。
 企てはそれだけに留まらない。「世界史の体系を考える場合、西洋を主とし、東洋を付属と
する従来の立場は、根本的に改められねばならない。東洋は西洋の目を通して眺めらるべき
ものではなく、西洋と対等に置いて見くらべらるべきものである」。
 こうして、世界史における「コペルニクス的転回」が宣言される。
 寡聞にして私は宮崎史観なることばの存否を知らぬが、六点の論文を収録した本書は、氏の
壮大な歴史観の入口を覗くにうってつけの一冊と呼べるのではなかろうか。

 おそらく、現代の歴史学者の目からすれば、粗が目立って仕方のない一冊には違いない。
門外漢の私ですら、これはどうか、と首をひねってしまう記述も少なくない。「西アジア史の
展望」などは60年前のテキストであることを斟酌し、専門ではないとの弁明つきであることを
差し引いても、もっと優れたアラビア史、イスラーム史の書物はいくらでもあろう、という
程度の粗末な代物と言わざるを得ない。
 とはいえ、こうした批判すらも、氏の価値をなんら毀損するものではない。氏曰く、「古典
なるものは、これを生じた当時の社会と同様、まだ未成熟であると同時に、あらゆる方向に
向って発展すべき可能性をその中に蔵している点が尊い」と。
 まさに、氏のこのテキストも「古典」たる要件を十全に満たしたものである。
世界史としての歴史 ★★★★☆
 本書はひとつのまとまった著作ではなく、世界史(アジア史)関連の論文をいくつか収めたものです。構成としては、まず世界史とは何かについて問う「世界史序説」に始まり、古代中国史・中世史・近世史、ついで西アジア史・日本史の概説的論考へと続きます。宮崎氏の歴史観の最も興味深い点は、いずれの論考にも「世界史とは歴史にほかならぬ」という信念が貫かれている事です。昨今の歴史的著作がいずれも細かい実証的論述に終始・専門化して、門外漢にとっては面白みの無いものが多いのですが、宮崎氏は個別的地域史を分析する際にも国際的な文化的波動や交通・商業の側面を常に意識し、壮大な歴史を叙述しています。

 戦後間もなく時期にこのような広大な史観をもっていた人がいたことは驚くべき事だと思います。宮崎氏の世界史的視点は、かの「地中海」の著者フェルナン・ブローデルの歴史観に相通じるものがあるともいえるでしょう。また、宮崎氏の著作の魅力の一つは叙述の巧みさにあります。漢文的な叙述は、近年のエッセイなどに慣れ親しんだ人からすると、最初はとっつきにくく感じるかもしれません。しかしながら、その叙述は彼の論理的な思考とも相まって、簡素ながらも含蓄のある表現を生み出しています。

 このように日本の歴史家としては突出した魅力を持つ著者ですが、気になった点がひとつあります。それは世界史的視点にこだわるあまり、文明の衝突や歴史の激動に翻弄されつつも、懸命に生き、偉業を成し遂げる個人の側面があまり描かれていないということです。しかし、宮崎氏の広大な視点はそれを補って余りある魅力をもっています。