『誓い』は、チェチェン人医師が、アメリカに奇跡的に亡命した後、鬱病や心的外傷後ストレス障害などに苦しみながらも、自分のそれまでの人生をつづった本である。ここには、チェチェン人の価値観や生活習慣などが詳しく述べられており、これまで日本に伝えられてこなかった等身大のチェチェンというものを知ることができる。また、ロシアに踏み潰されているチェチェンの現状が実体験をもって語られた、数少ない本でもある。
ハッサン・バイエフを「戦地にいながら敵味方の別なく治療をし続けた勇気ある医師」と称えることは簡単だ。けれども本中には、自身の迷いや弱さをもさらけ出し、また周囲の人たちの強さや弱さをも描き出しており、極限状態において人間らしくあることの難しさを坦々と語っている。
これを単なる”感動的な本”として終わらせてはいけないと思う。戦争はまだまだ続いているのだから。
読後は、文字通り世界が広がった。
N○○のニュースなどで見ることの向こう側まで見えるようになった
気がする。
チェチェンという名で知っていたことは、
忌まわしいテロしかなかったが、
それは大きな間違いだった。
世界を違った視点で読み解くことが出来て、
自分にとってこの本は大きな意味があった。
戦間期、バサーエフによる隣国ダゲスタン軍事侵攻前に、ロシア軍による空爆
が始まっていたことを初めて知った。
著者は、マスハードフ大統領に対して、批判すべきことは批判している。
「マスハドフ大統領は立派な人物であるが、強盗団や私兵を擁する野戦司令官達
に対し余りにも無力に思われた。明らかに内乱を恐れて、犯罪者を逮捕して
裁判にかけるような、厳しい手段を取ることができなかった」
「チェチェン国民はマスハドフ大統領にむかって、誘拐犯罪者の正体を明らかに
し、彼らに戦争を宣言するよう要求した。しかし大統領は何もしなかった」
戦間期におけるチェチェンの混乱を立て直すことができなかった自分達を
主体的に反省しようとはしている。
何故なのかを、政治的、経済的、思想的に反省すべきだと思う。
「バサーエフをそそのかしてダゲスタンを攻撃させ、かくしてロシア軍を
チェチェンに進攻させる口実を作り上げた」と筆者は言う。
ロシア側による限定的な空爆は始まっていたにせよ、地上侵攻をチェチェン側が
先に行ったということに何ら変わりはない。
第一次チェチェン戦争を終結させた96年8月の「ハサビュルト和平合意」を
チェチェン側が先に破ったという歴史的事実は基本的に何ら変わりはない。
「私達の世代がロシアで教育を受けて、ロシア人の友人がいるのとは違って、
若いチェチェン人世代は、ロシアから受け取る物は死以外に何も知らない」
米国に亡命した著者は、自分の子供達に、スターリンによる強制移住によって
廃村になった村々や、谷底へ多くの人々が投げ込まれたという、その谷底を
見せてやりたいと願う。
チェチェン民族の民族としての、次なる世代への民族の伝統を伝達することも
著者の使命の一つとなった。
にもかかわらず、私は思ってしまうのだ。彼のような英雄を必要とする社会は不幸である、と。すべての人が彼のように強くなることはできないし、またそうなる必要もないのではないか。チェチェン人の信仰するイスラームでは、人間の本質は善でも悪でもない「弱さ」にあるとされている。人間は弱くてもよい。問題はその弱さが他者に対する見えない暴力を生み出す、歪んだ「強さ」になってはいないかということだ。
ひとたび戦争が始まれば、私たちは彼のような英雄を必要とするだろう。いや、そうせざるを得ないだろう。しかし、本当に必要なのは、ごく普通の人たちが寄り添って平和を築いていくことだ。それが可能かどうかは、いずれ現れるかもしれないどこかの英雄にではなく、私たち一人一人にかかっていると私自身は信じている。その一歩は、例えばこの本を手に取ることからでもよい。他でもない、今ここにいるあなたが。