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偏狂者の系譜 (角川文庫)

価格: ¥540
カテゴリ: 文庫
ブランド: 角川書店
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松本作品のニュースソースは。 ★★★★☆
 この一冊を求めたのは、大本教弾圧の内幕を描いたともいわれる「粗い網版」が収められているからだ。作家の早瀬圭一氏は「彼(松本清張)はどのようにして早い時期に第二次大本事件の事実を知ったのだろうか」と著作に記されている。清張作品のニュースソースの秘密を探るにも、参考になる。
 この大本教の特徴は、『日月神示』の著作をもつ中矢伸一氏が詳しい。敗戦直前、近衛文麿の暗殺を決行すべきか否かの占朴のために陸軍の青年将校が岡本天明という神官を訪ねてきたことがあるが、大本教信者でもあった岡本の占いのやりかたはフーチというものだった。清張最後の作品、『神々の乱心』の中にも描かれているフーチと似ている。

 松本清張はこの「粗い網版」から「昭和史発掘」を経由して「神々の乱心」に至ったが、この作家人生の発端となる事件をどのようにして知ったのだろうか。

ストーリーの裏に隠されたもの ★★★★☆
短編の一つ、「皿倉学説」について。清張の小説はストーリーだけを追っていっても、さっぱり面白くないものが多い。これも殺人未遂妄想では犯罪どころか、ミステリーにもならない。問題はストーリーの裏にどういう清張の哲学的意図が隠されているかである。ここから先は独断と偏見で話を続ける。謎を解くカギは、”皿倉”と”採銅”という二つのとてもかわった主人公の名前の由来にある。北九州国定公園には皿倉山と近くに採銅所地区というのがある。九州出身の清張は多分、ここの地名を主人公の名前に使ったのだろう。理由は神巧皇后の更暮山または更暗山から来ている。つまり皇后が山に登った時に更に日がさらに暮れて暗くなったから”さらくれ”の山となったという伝説である。光の明暗というわけだ。しかしストーリーの方は、”音の大脳での知覚”をめぐって延々と生理学博士・採銅健也が活躍する。音をどうやって脳が言葉として認識するか。小説という言葉(言語)の世界で、音と光の手助けがどうあるかが、語られ、清張の最初からの結論は”音”の優位性ではなかったのか。だからこういったストーリーになった。これは白川静(”書”の視覚ー光の明暗)と藤堂明保(音の聴覚)の漢字論争における、それぞれの立場を示す。この前の短編「笛壺」では”はぞう”にあたる漢字に採銅健也の「也」の字が部分として使われているのも偶然ではない。全体として言語においては”音”が優先すると清張は結論したかのようである。ところで手前味噌だが上野和男・著の「宇宙に開かれた光の劇場」と「縄文人の能舞台」という本を読むことをお薦めする。それぞれ、主に光と音が言葉との関係で語られている。前者は光の魔術師・フェルメール論の形式をとっている。清張もおおいにこの本で語られている。
孤独な研究者たちの「熱」の在りか ★★★☆☆
過去の勢威から遠く離れた研究者。あるいは、また、名声などハナから望むべくもない下級の(ないしは、市井の)研究者。にもかかわらず彼らをその分野に釘付けにするのは一体何なのか。使命感?探究心?
いやいやそうではなくて、本書にて清張さんは、もっと「狂気の縁辺を覗き込むナニモノ」かなのだと示唆しているようです。
このようなモチーフで編まれた4編は、どれも「狂気」の熱にとりつかれたり、「狂気」の熱を読者とともに感慨深気に眺める人物で彩られています。同時に酷薄なまでに周囲の者たちの無関心と実利主義が対照的に描かれてもいます。
読者は、本書の細部にわたって内容を了解するのは至難だとは思いますし、清張さんの博覧強記に付き合わなくとも良いと思います。ですが、清張さんが呈示した「狂気」の熱を感じ取ることは可能です。最後に本書をまとめた編集者の労を多としたい。
清張が到達した「みじめ道」は味わい深い ★★★★☆
松本清張という人の心象風景が深く感じられる作品群だ。
その心象風景とは、ひたすらに、みじめたらしく侘しいのだ。
それは、「みじめたらしくてなんだかヤだー」などとという一般人の理解の範疇をはるかに超えた、「みじめさ」なのだった。そして、ここではみじめが「これでもか」のごとく徹底されつくしているために、裏返って「うっすら笑っちゃう」というレベルまでいくことになる。
そう、ここまでのレベルの「みじめ」の意味は、「高度な笑い」を目的としている、でいいのだ。きっと。
押しも押されもせぬペシミスティック界の第一人者である清張は、「他人に嗤われる」ことに慣れてはいるが、それで気分がいいわけではない。だから、いっそ自分から言っちゃう。「やー、どこまで行ってもみじめだなあ。ははは。」と。
けれど清張は、「みじめ」から「高尚」を引き出したいわけではなかった。
これは「みじめ道」と言っていいものだと思うなあ。
生まれた家が貧しく、従って学歴もなく、さらに容貌にも自身の無い場合、それは普通は三重苦となる。清張の場合は、これを究めて「果てしないみじめ〜笑えるくらいみじめ」へ到達したんだと思う。この本の登場人物は誰も、私には、笑ってしまうくらいのみじめ、だったから。そんなことを考えながら読んだ。
あっ内容に触れていない。この作品群はひとつの「欲」の形である。食欲よりも性欲よりも「知的好奇心」が勝ってしまうという、生物学的に見たらいびつな状態を、リアルに描いている。…「知的好奇心」という怪物に憑依された経験のある方なら、うなずきながら読むことができるだろう。どちらかというと、私も例外ではない。
日の目を見ない「研究の徒」たちの物語 ★★★★★
収録作4編それぞれ、「古代のある様式」「音と脳の関係」「新興宗教」「邪馬台国」といった学究的なモチーフが色濃く描かれている。逆に言えばこれらのモノに多少なりとも興味が沸かなければ面白味が感じられないかも知れない。ミステリ色は薄く、ドラマチックな起伏も殆どない。渋くて地味だ。松本清張ビギナーにはあまりおすすめできない。文庫初掲載の作品もあるそうなので、通な人向けだろう。ある物事にとめどなく執着すると、そこにエキセントリックさが生じる。本書を読んでいて江戸川乱歩が描きそうな「変な人」を思い起こした。解説は各編のオチなどが丁寧に網羅されているので本編読了後に読まれたほうが良い。