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Testimony: The Memoirs of Dmitri Shostakovich

価格: ¥1,746
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Faber and Faber
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この本の意義 ★★★★☆
かつて論争を巻き起こした、"Testimony"の日本語訳です。この本を手にする方は、以下の点を念頭に置いておくべきでしょう。

・多くの高名な音楽家に対して、 厳しい意見が述べられている。
・当時旧ソ連の政治体制の支持者だと信じられていたショスタコーヴィチの内心は、全くそうではなかったということが明らかにされている。
・内容が真実かどうかについて疑問が指摘されている。
・ショスタコーヴィチの発言とされる他の資料からの引用が混ざっている可能性が指摘されている。
・ヴォルコフがこの作曲家に何度か面会していることは事実。
・ロシア語の原典資料が公表されていない。
・サインが他からのコピーである可能性も指摘されている。
・当初批判していた音楽家の中には、ソ連崩壊後に意見を変えた人達もいる。

かつて、この作曲家は旧ソ連の体制寄りの人物であり、また彼の多くの作品もその枠の中でとらえられていました。しかし、この本はソ連崩壊に先だってそのような見方を覆し、政治体制に迎合した芸術家では無かったという発表当時に驚きをもって受け止められた認識を音楽界一般に定説として広めるきっかけになりました。その点で、本書は今でも重要な意味を持ちます。
風太郎的騙りの面白さ??? ★★★★☆
いまやよく知られているように、曰く付きの1冊。嘘かほんまかしらんがやっぱり面白い。

マリア・ユーディナ、アンドレイ・タルコフスキー、ザミャーチン、ムラヴィンスキー、トスカニーニ等々の人物月旦が頗るつきの面白さ。
なるほど、これが偽造文書であって、歴史的証言としての価値がまるでないということであれば、それは悩ましくも厳然たる大問題である。

それにも拘らず、本書は読む価値があると評者は思う。ショスタコーヴィチの複雑怪奇なる精神とそれを形成した環境。さらに精妙複合した作品。トハチェフスキー、メイエルホリドといった悲劇の英雄達との絡みが、評者にはまるで山田風太郎の小説のような面白さで迫ってきて、開巻、書を措くに能わず!!!

この騙りは、確かに罪深いかもしれないが、影の本人が語ったショスタコとしての読み方もあり得るような気がしてならない。甘い?
頻出するチェーホフの物語を引き合いにして、己の人生の諸相を語る語り口も大変魅力的だ。
全てが真実でない可能性もあるが貴重な史料 ★★★★★
ショスタコーヴィチの交響曲5番を生まれて初めて聞いたとき、スターリニズムなんて言葉の意味も知らなかったが、子供心にとにかく感じたのはその「異常性」で、「この曲を作った人は何かとてつもない悲しい、絶望的なことが人生にあったに違いない」という印象だった。
そしてその後、この本の出版にふれて後、私のさまざまな疑問は解けた。
最近ではこの本には捏造部分がふくまれるとか、すべてが信頼できるわけではない、という説も通説となった。それはそうで、ショスタコーヴィチ自身がすべてを語るなんてことはスターリン体制下でできるわけなんかないので、二次情報、三次情報になっても仕方がないだろう。しかし悲劇的な部分は、彼の作品を多く初演したエフゲニー・ムラヴィンスキーについてショスタコーヴィチが「語った」とされる部分で、「ムラヴィンスキーは私の音楽について何もわかっていない」というくだりである。作曲家と演奏家の乖離。孤独感と絶望感がひしひしと伝わってくる。確かに、この本にかいてあることが真実であるとすれば、交響曲第五番のコーダ部分の異常に早いテンポ設定は理解できる。つまりあれは勝利の行進曲などではなくて、現体制に対する痛烈な批判であったのである。事実、ムラヴィンスキーは来日公演の際も、交響曲第五番のコーダのテンポ指定を完全に無視し、半分近いスピードにおとしてしまって「社会主義の勝利の交響曲」として印象づけてしまった。「名演」として名高いムラヴィンスキー盤だが、この本を読んだ後では、そう簡単に演奏の位置づけをするわけにはいかなくなる。
真実かもしれないし、またそれ以上のものでもない。 ★★★★☆
この本に関しては、既に語りつくされていると思います。そして、ヴォルコフによるというその「編集」自体が偽物、という説も、それなりにまかり通っているようです。ただし、ここに書いてあることは、はっきり言って旧ソ連の内幕そのものであることは、ヴォルコフが言う言わないにかかわらず、これまた既に良く知られていることです。これくらいのことは贋作だ何だ、以前の問題で、ソ連という国、あるいは「社会主義」「共産主義」などと称している国の内幕であることは、旧東ドイツの崩壊を目の当たりにし、崩壊直後に、「西ドイツ」の住人として、それまで外国人は立ち入れなかった地域をまざまざと見て廻った私にとって、はっきりと確認できたことでした。むしろ問題は、ナチスに対するトーマス・マンの立場に似ていて、あれだけ旧ソ連で、いわば「良い思いをした」はずのショスタコーヴィチに、こんなことを言う資格があるのか、ということでしょうね。この点については、批判されても仕方がないと思う人は多いと思いますが。いずれにしても、まずこの本を読んでみることです。読んでみて面白いことだけは確かです。
この本は、偽造文書である。 ★☆☆☆☆
 この本は、『ショスタコーヴィチの証言』などではない。この本は、この本の自称「編者」であるソロモン・ヴォルコフが創作した偽造文書としか、考え様の無い物である。その理由は、千葉潤氏の「作曲家・人と作品/ショスタコーヴィチ」(音楽之友社・2005年)の178ページから182ページを通読すれば、納得して頂ける筈であるが、要約すると、(1)この『証言』は、『証言』の「編者」であるソロモン・ヴォルコフが、ショスタコーヴィチを訪れ、ショスタコーヴィチが口述した内容を、ヴォルコフが書き起こした物とされて居る。しかし、イリーナ夫人に依れば、この『証言』の「編者」であるヴォルコフは、ショスタコーヴィチに2時間半ほどのインタビューを3回しただけで、それだけの時間に、これだけの分量の事を、ショスタコーヴィチが語れたとは、信じ難い。(2)『証言』のタイプ原稿にショスタコーヴィチが署名した部分は、すべて、1975年にショスタコーヴィチが亡くなる以前に、旧ソ連で既に出版されていた論文からの、文字どおりの(文章の構成や句読法を含めた)引用である事が証明されて居る。(3)『証言』のタイプ原稿のフォト・コピーには、ショスタコーヴィチの署名が入った別の原稿を、『証言』の原稿に切り貼りした跡さえ、ほの見えている。(4)こうした資料批判を行なったアメリカの音楽学者、ローレル・フェイからの公開質問に、ヴォルコフは、応えようとしなかった。等々。--これでも、この本は、ショスタコーヴィチの肉声なのだろうか?

(西岡昌紀・内科医)