本書は緊密に構成された著作ではなく、いわば炉辺の思い出語りのような、とりとめのない閑談集の趣をもつ。しかし、語られる事実は多くが重い内容である。栄光に包まれているかにみえて実は凄惨だったとも言えるショスタコーヴィチの生涯が肉親の立場から語られ、大変に迫真性がある。そかしその一方で、彼の家庭人としての微笑ましい挙動も描かれていて、多少は心が和むのである。彼の音楽に触れ、感動したことのある人に推薦したい。
なお、彼の病気が筋萎縮性側索硬化症(ALS)であったとする定説(本書でもそうなっている)については、どうやら幾分の保留が必要である。発症が1958年、死亡は1975年であるが直接の死因は肺癌であり(彼はheavy smokerであった)、筋力低下と筋萎縮とは死の直前にも歩行不能になるほどではなかったこと、左上肢は比較的保たれていたことを考えると、あまりに罹患範囲が不均等であり、かつ進行が遅く、典型的なALSではない。ALSとしてもflail arm syndromeであったのか、それとも孤発性の脊髄性筋萎縮症か、あるいは多巣性運動ニューロパチーであったのか?「足が痛い」という訴えがあったことを考えると、頸髄疾患(後縦靱帯骨化症やヘルニアなどによる神経根障害および脊髄障害)であった可能性も否定できない。病跡学的にも興味深い書物である。