閉ざされた古い館の庭の、冬から春ヘの変貌。
数百年変わらない館と、日々青々とみずみずしく成長する庭の描写が素晴らしい。温かい雨が降り太陽がさし、芽がのぞき、葉が伸び、むせかえらんばかりに花が咲いていく描写、ぞくっとします。
庭仕事大好きさんにもお勧めです。
この作品の中で、コリンの出てくる場面は大きく分けて2つある。それは、「屋敷の中」と「秘密の花園」である。最初、彼は「屋敷の中」で寝たきりの状態であった。ここで、彼は、わがままで自己中心的な、自分の思い通りに行かないと泣き出してしまうような幼児性を持つ少年として描かれている。しかし、「秘密の花園」作りに参加するにしたがって、彼は自分で歩けるようになり、強く、他人を思いやることのできる少年へと成長してゆく。それでは、この2つの場面の違いとは何であろうか?
それは、「時の流れを感じることができるか、できないか」である。「屋敷の中」には時の流れを感じさせるものは何もない。実際、コリンは初めてメアリーに会い、春の話を聞いていたときに”Is the spring coming? What is it like? You don’t see it in rooms if you are ill”(133 l.15)といっている。しかし、屋敷の外にある「秘密の花園」には、1年周期で姿を変える植物、毎年、決まった時期に巣作りを始める駒鳥、つぐみなど、様々な季節を感じさせるものがある。コリンは、この日々変化しつづける花園を観察することで、初めて、時の流れを感じることができた。言い換えると、コリンの心の中で止められていた時が、初めて動き出したのだ。
時の流れを感じる-私たちには当たり前すぎることかもしれない。しかし、コリンのいた環境ではそれがなかった。つまり、過去→現在→未来と時が進むのではなく、現在がループして、おそらく、1日1日が同じものに感じられたことであろう。成長とは、過去の自分を振り返り、未来に向けてフィードバックしてゆくこととも言えるのだから、コリンが屋敷の中」で成長してゆけるわけがない。
コリンは「秘密の花園」で”I’ve seen spring now and I’m going to see the summer. I’m going to see everything grow here. I’m going to grow here myself”(231 l.6) と言った。これは、彼がこのときの流れを感じられる環境で、”grow”の意味が初めてわかり、花園の中のものと一緒に成長してゆきたいという決意が込められている。