「社会的なもの」の概念の再構築の試み
★★★★☆
19〜20世紀にかけて誕生して一つの完成を見た「社会的なもの」の概念が、今、グローバル化の中で一つの終焉を迎えようとしている、と著者は認識し、この概念の再構築を試みている本。
この概念は、自然、個人、国家、に対置し拡張形成されてきたが、それらを重層的に含んだ第四のステップ、具体的には独と仏の憲法に提示されている福祉国家的概念(社会的国家)が本書の出発点。因みに日本においては、社会的国家という言葉が、その近似的概念である福祉国家という言葉としてでさえ理解されていないと適切にも指摘している。
再構築された著者のいう「社会的なもの」の概念の全体が、ホッブスからギデンズにいたる400年程の諸先達(正確には勘定していないが40人は下らない)の思想からの引用の中にちりばめられているので、小生のような一般人には少々読みにくいのですが、著者の言わんとするところの核は把握できます。それを一言で言ってみれば「民主的で社会的な社会」とでも言えばいいのでしょうか。これだけ読むと意味不明ですが、具体的には、例えば、資本のグローバル化がもたらす、社会的なもののグローバル化という新たな課題に対して、世界共通に了解された枠組みを創出する(例えば国民国家との対比において、シュムペーターの租税国家の概念の拡張で)という視点は説得性があると思います。
著者の考えは、今後、新たな社会共同体の地平を切り開く理論に繋がっていくのかもしれないと期待します。
「社会」的なもの
★★★☆☆
社会化、社会的な、社会に出る。日本語の文章を読むと社会という言葉は、いたるところに顔を出している。しかし、概念として「社会」を考えた場合、これだけ頻出する言葉であるにも関わらず、こういう意味だ!と明確に指摘することは、多くの人にとって難しいことだと思う。教育においては社会化を目的とし、大人になることを社会に出るといい、社会的な良識に従うべきとされる日本において社会の意味が不透明である。これは、社会を研究する学問である(?)社会学においても同じ構造であると筆者は指摘する。
(もっとも、丸山真男を引き合いに出すまでもなく、日本では民主主義など、社会にすえる根本的な概念はあまり再検討されることがないという風潮が影響しているのかも知れないが。)
こうした社会の概念の空虚さのおかげで、多くの日本人にはドイツの憲法に出てくる「社会的な国家」の意味が理解されないのだという。
本書では「社会的な〜」という言葉の意味を政治的な流れ及び、思想史において確定していく作業を行っている。そこであぶりだされたのは「社会的」を取り巻く平等や福祉等の規範的な意味合いである。
というのが私の読後感でしょうか、レビューの評価の高い本書ですが、私はあえて批判的になってみたい。まずは、こんなに長くなる必要があるのかということ。本書の後半は思想史において「社会」の流れを追っています。そこで吟味され、検討されるのは、名前も聞いたことがないような社会学者が多い。本書の中で教科書以上の思想史の流れを踏まえる必要があったのだろうか。また社会という言葉を使うにはまず何よりも現代社会を検討する必要があったのではないか、と思う。わりと楽しみにしていた読書案内で国内で翻訳されている本が少なかったというのも不満の一つです。それだけ、社会を検討する本が少ないということかもしれませんが。
フロンティアシリーズは「公共性」に続いてまだ二作目ですが、「公共性」がたいへんよかったために、今回は少し、残念です。
社会という概念のねじれ
★★★★★
societyという語は,明治に西周などが苦心の末翻訳した語であるが(他にも「会社」「交際」「世人」などと訳されたこともあった――『翻訳語成立事情』柳父章)、その概念までもが共に日本語圏にすんなりと入ってきたわけではなかった。
それは、日本語において社会」と、「外部」というニュアンスをもつ「世間」という語が通約可能な概念になっている、ということからも見て取れる。(「社会の常識」≒「世間の常識」、「社会の荒波」≒「世間の荒波」、などなど。)
だから、そういうニュアンスを強く持つ「社会」と、ヨーロッパのsocialという語が意味しているものは,実は大きく違う。
市野川氏が指摘するのは、そのsocialという語がもつ「規範的な意味合い」である――フランスやドイツの憲法条文中にある「社会的な国家」という言葉を、「社会」という言葉そのものに自覚的でない日本の社会(科)学者は認識できていない。socialという形容詞であらわされる概念は「ソシャエティー」「ソシエテ」という実体を表す語に先立ち、そしてそれは「社会」という概念には含まれていない、いわば規範的な意味合いをもっている。「社会的な国家」l’Etat socialという概念は、畢竟、現在の日本語でいうところの「福祉国家」に近いのである。
※もちろん、西欧においても、socialやそれに相当する語は、近代以前のSocialis(羅)という語から変容し、「外部的世界」というニュアンスをも含んでいるのだが。
彼の論点は多岐にわたる。実際、この本の分量は他の「思考のフロンティア」シリーズの1.5倍はある。しかし、「社会」という概念のずれ、ねじれという事態に対する彼の驚きに通ずる疑問、違和感、憤りを感じている人であれば、この本から多くの刺激的な示唆を多く与えられるはずだ。