暗殺までの一日を追う
★★★★★
1979年10月16日 韓国の大統領が暗殺された。
当時小学生だった私には本のうっすらしか、その記憶が無い。
そして、今まで、この国を甦らすために全てを捨てた、偉大な大統領のことをほとんど知らなかった。
タイトルの通り朴大統領の最期の一日について詳細な検証を行い。この事件の詳細を多方面から調査し、当時の背景、この事件の本質、事件発生の瞬間と直後からの様々な人間模様、権力の移行について触れている。
全体を通じて、祖国の近代化のため、私利私欲も、名誉も、何もかもすて、大統領がどれだけ孤独な戦いをしていたのかがわかる。(こういった最期を遂げることもある程度予測していたようなところさえ)
朝鮮日報に連載された「近代化の革命家、朴正煕の生涯−我が墓にツバを吐け」を編集したもの。
人間ドラマではなく、一種の総括書
★★★★☆
書評を読み、購読した。権力の崩壊とその奪取の様子が生々しく、好著だと書かれていたのだが、大事件に巻き込まれた人々のドラマを予想していた私には、その部分では期待はずれだった。
本書は記録的目的のある、一種の総括書であった。
朴大統領の死は、金情報部長(KCIA部長)と車警備室長の確執から偶然産まれた、単なる殺人事件であった。(そのあっけなさにはびっくり!)
本書で最も物足りなかったのは、朴大統領も含めた、この殺人事件の当事者の人物描写である。もっと書き込んでほしかった。特に大統領の最後の日々や金部長の底の浅い人格、車室長の台頭等は思い切り掘り下げてほしかった。
政変の概観は、裁判記録、インタビュー、報道記録等をまとめてある。
当時の韓国の置かれた位置、韓国政界と軍部の関係、軍隊・軍人の性質、指導層の緊急事態下の身の処し方、クーデータの正しい段取り等、面白い記述はそれこそたくさんある。
本書を読むと国家がある特定の指導者に依存することのリスクがよく分かる。政治家は必読。官僚組織や法による統治の重要性も再認識させられた。
また韓国人の感情的な気質にも(改めて)驚く。こういう事件は日本ではまず発生しない。
韓国が国際社会で飛躍するには、ある種の国民的な成熟が必要だと思った。日本は明治維新、第二次大戦と、「そうは言っても」国民全体が大きな変化を経験している。それがある程度の成熟につながっている。韓国はまだ若いのだ。
彼は超人だったか
★★★★★
週刊エコノミストで書評を読んで興味を持ったのですが、読み応えがありました。
「大丈夫だ」と息を引き取る間際に言ったことなど、信念の人らしく、感動しました。ニーチェからとった交響曲「ツァラトストラかく語りき」が国葬で奏でられたのは何か因縁があったのかもしれません。
政治に全人格と命をかける人物がいなくなった現在だけに、彼のような人物が隣国に存在し、今また注目を浴びていることに関心を募らせられます。
ただ、単純殺人説かクーデター謀議かの結論は、やはりもう少し待ちたいと思います。
他人事ではない。
★★★★★
身を挺して国を守る気概だけではなく、自らその役目を負わざるを
得なかった本人の立場、そして彼こそが韓国民主化の基礎を作りあげた
のだというのを理解するには、そう時間がかからなかった。
重厚な内容だけでなく、遺されたものの悲しみが伝わってくる。
翻って日本には、「なにをしておる!」と一喝し、「私は大丈夫だ」
と気遣える指導者がどれだけいるだろうか。