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謎とき本能寺の変 (講談社現代新書)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 講談社
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歴史学者の立場 ★★★★☆
司馬遼太郎の小説などであまりにも面白く描かれる、本能寺前後の時代は一般に人気があると思うのですが、この時代を研究している学者はどのくらいいるものなのでしょう。この種の書物は、あまりアカデミズムの側に属する人たちによって書かれていない気がするのですが、何か憚りがあるのでしょうか? その点、著者は学者にもかかわらず、素人が喧しく議論するこのテーマに果敢に取り組んでいます。我々素人にも分かりやすく、光秀をめぐる当時の状況をスリリングに解き明かして行きます。歴史学の面白さを伝えるためにも、他の学者さんも恐れずに、こうした「時代」を扱ってほしいと思うのですが。
義昭の影響力は追放後も強かったことがよくわかったが、、、 ★★★★☆
本書は03年に発表されたもので、その時点までの研究成果に基づいて本能寺の変の謎に迫る。とにかく緻密な研究成果を読みやすく紹介して、事件前後の光秀・信長・秀吉・家康そして将軍義昭の行動がよくわかる。まず、光秀が謀反を企むようになった原因として、1.信長の四国政策の変更による光秀の地位低下、2.実力主義・兵農分離という信長の理念の下、国替を繰り返す鉢植大名となることに抵抗があったことを指摘し、変は突発的なものではなく、計画的なものであったことを、光秀が事前に反信長の大名に送った書状から立証する。次いで、京から追放された将軍義昭が西国公方の権威に基づいて意外に影響力が強かったこと、始終信長打倒の画策をしていたことが細かく説明される。そして作者は本能寺の変の黒幕は義昭だとする。しかし、私はこの結論に納得できない。まず、光秀を陰謀に引きずり込んだのは義昭であるという直接証拠がない。次に、義昭を庇護していた毛利が、変を知った秀吉の中国大返しを易々と許すだろうか。密使が間違えて秀吉陣に先に信長横死を伝えたというのはなるほど後世のフィクションだろう。また、作者は秀吉の策で毛利重臣達が浮き足立っていたこと、下手に動けば秀吉が残した宇喜多秀家等の攻撃を受ける可能性があったことを、毛利軍が秀吉との講和に応じた理由として挙げているが、義昭が本当に黒幕なら、もっと毛利軍を変に備えさせ、少なくとも秀吉との講和に時間稼ぎをさせたのではなかろうか。私は計画的だったかもしれないが、光秀単独犯説を今は支持する。エピローグで、作者は、和辻哲郎氏が、信長にみられる「世界へと視圏を開こうとする衝動」や「伝統破壊」を高く評価し、秀吉・家康以降の為政者の「精神的怯懦」を強く批判したことに触れ、「本能寺の変の影響は、いまだ払拭されていない」と結ぶが、これは実に鋭い指摘で、私も全く同感である。
ますます分からなくなる本能寺の変 ★★★☆☆
 本能寺の変は中世から近世への転換期に起こった守旧派し改革派の構造改革をめぐる争いだった、といわれるとなんだかどこかのアジアの国の政治状況が思い浮かぶ。それはさておき、足利義昭は1573年の京都からの追放後も毛利氏を背景に「鞆幕府」とも言うべき地位を維持していた。さらに義昭を中心とした天皇・公家、宗教勢力と反信長派の大名の連携の下に長宗我部氏政策の転換、丹波・近江からの国替えの不安を動機として光秀のクーデターは決行されたと指摘している。これらの論調に新鮮味はあるものの、その後の光秀の動向を考えると、いくら秀吉が中国大返しをしたからといって諸大名に対する懐柔策を始めとしてあまりに策が無さ過ぎ、とても有能な大名である光秀自身が用意周到に計画したものとは思えない。やはり一定の背景はあったにせよ、一種の発作的な単独犯の線もあるのではと思うこともできるのではないだろうか。
肝心の「史料」にどうしても納得が行かない ★★☆☆☆
私は歴史学の素人である。が、その身を省みず以下のようなある種、無謀な試みをするのは、著者には失礼だけど、本書が基本的な点で説得力を欠く(追放後の義昭の反信長行動の有効性の過大評価、そして何よりもっとも身近な毛利氏の行動を説明できない)にも係わらずに、版を重ねていることへのいささかの苛立ちの結果である。

本書では義明黒幕説を支える史料として2つの文書(歴史学で言う「一級資料」だ)が紹介されているが、いずれにも愚生の如き素人さえ首をひねらずにはいられない。

第一は75頁の河隅忠清書簡。
まず不可思議なのはこれが光秀の謀反を事前に通知するものであるにしては、その重要性に反し「情報」の扱いがあまりに軽率なことである。すなわち肝心な情報を無名の召使に口頭伝達させている。この召使が「才覚申し」たが故にようやく伝えられたことになる。クーデターという非常に重要な内容に比べるととても受け入れがたい。
また、事前伝達であるなら、「明智の所」という記述も不自然だ。
無論、それ以前のやり取りで十分に意味は通じるというのだろうが、やはり地名や同族と区別する為に「惟任」とか「日向守」を意味する語句が付いているのが自然だと思う。

更に111頁に掲載された雑賀衆宛光秀文書。
これについては日付に注意して頂きたい。十二日とある。
私たちはこの翌日の「山崎合戦」を知っている。本書内でも語られているが、思いがけない秀吉の大返しに対して9日には細川父子の離反を知り、11日に尼崎に到着した秀吉軍を目前にして、光秀はこの日のうちの決戦さえ覚悟したのが12日である。
が、引用は彼の絶望的状況とは凡そ対照的な内容の書簡である。

無論私はこれらの書簡の原本はおろか、全文にさえ接する機会は無い。或いは一般向けの書だからということなのかもしれないが、核心に触れる部分である。
読者自らで「考え、判断する」為の最低限の材料提示は欠かせないと思うのだが。
論証に大きな欠陥があると思います ★★☆☆☆
楽しくは読めましたが、「義昭=黒幕」説の論証には、決定的な欠陥があるように思えます。
それは、「本能寺の変」の謎と、「中国大返し」の謎との整合性です。
「反信長神聖同盟」の盟主として、諸大名・諸勢力の連携を画策、
信長包囲網を築き、光秀に謀反を働き掛けた「黒幕」足利義昭が、
肝心要、お膝元の毛利に対して、当のクーデター計画について、事前に耳打ちすらしていなかった?
「黒幕」と「実行犯」との連絡不足?
(光秀は事前に上杉にまで密使を送って協力を求めていたのに…)
本書を素直に読めば、そういうことになってしまいます。
いくらなんでも、そんな間抜けな「黒幕」はいないでしょう。