小林多喜二の現代性
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「防雪林」は1927年、作者24歳の年に書かれましたが、なぜかノート原稿のまま発表されずにいたものを、1947年に全集編纂作業の中で発見され、新聞「アカハタ」に発表されて話題を呼んだ作品です。作者の執筆活動の最も早い時期に書かれたものですが、若書きの未熟さなどはみじんもなく、この作家がいかに才能に恵まれていたかを示す重要なテクストです。
何がすごいといって、北海道原野の自然描写、そこに生きる人々の方言の生き生きとした言葉の力、これが作品の魅力の中心です。
たとえば若い主人公が食料を得るため、北海道庁の禁令を破って、友人とともに石狩川で鮭の密漁する場面。
「『秋味だ!』源吉は大きな声を出した。『でけえど、でけえど』だんだん水の『ばじゃばじゃ』がひどくなってきた。子供が水のかけ合いでもしているようだった。そのうちに、二、三匹は砂浜にはね上がったらしく、その肉付きの厚い身体を打ちつけながら、あばれた。源吉は勝に網をひかせて、自分は棍棒を持って、川岸に降りた。網のそばまでくると、源吉は、心分量で十匹以上鮭が入っていることが分った。いきなり横っ面をたたきつけるように、尾鰭ではじかれて、水と砂とがとんできた。
『野郎!』
源吉は顔を自分の雨でぬれた袖でぬぐうと、棍棒をふりあげた。見当をつけて、鮭の鼻っ柱をなぐりつけた。」
鮭の生命力とそれに対抗する主人公の暴力が簡潔な文体で描かれ、自然に対する畏敬の念が行間から立ちのぼってくる、そんな描写です。
私はこの下りを初めて読んだとき、中上健次を思い出しました。彼もまた和歌山の方言を駆使して自然と血と暴力を描きました。小林は作家の資質として中上と共通するものを持っていたのです。彼は高等商業学校を出たインテリでしたが、それまでのどんな文学作品にも影響を受けることなく、現実に直接立ち向かい、現実の中から自分の言葉をつかみ取ってくることができる稀有な才能を持った作家でした。夭折が惜しまれます。
この小説は作家の美質が最もよく現れた作品だったのですが、作者はこれを発表することなく、改作を重ね、「不在地主」として発表されることになりました。この作では当初の初々しい自然描写は影を潜めてしまいます。社会主義イデオロギーによって作者の資質が矯められてしまったといわざるをえません。
その後作者の才能は、プロレタリア文学運動の厳しい執筆条件の中で別の意味での成果を上げているのですが、もし彼が別の条件で作品を書いていたら、まったく別の展開があったのではないかと思います。
プロレタリア文学を、イデオロギー臭い政治宣伝の道具と考えている人はこの作品を読んでみてください。ここにつづられた言葉の新鮮さにあらためて驚くはずです。