意外と面白かった。
★★★★☆
『独房』は、アカの活動で捕まった元囚人の獄中体験口述を筆記した、という形式の掌篇集、
『党生活者』は、とある工場内で活動に従事する共産党員らの姿を描いた短篇である。
『独房』は本当に普通の獄中体験記であり、政治色が薄い。
設定上囚人がアカであるだけで、アカではない囚人との本質的な違いが分かりにくいのである。このことは巻末解説でも批判されている。
プロ文としての完成度がどうなのかはさて置いて、獄中小噺集としては面白いと思う。朗らかでノンキだ。
『党生活者』は、語り手の同志である女:伊藤と語り手の同棲者である女:笠原(非党員)の存在が際立っていた。
「女がマジメにアカをやるとどうなるのか」「普通の女がアカの男を養いつつ同棲することの大変さ」が見える。
巻末解説ではこの作品における女の姿の読み解き方が示されているが、それが中々良かった。
「普通の文学的な読み方」とは違う「プロ文的な読み方」で読むと、女の姿の意味合いがかなり異なってくるようである。
然し、作品内には読者を「プロ文的な読み方」に導くような仕掛けはなかった。そこはチト苦しいかもしれない。
ともあれ、どちらも読み易い作品である。
作者の明るく朴訥な、テンポの良い語り口には、単なる「共産主義の為の芸術」の範疇に留まらない浪漫が感じられた。
ちなみに下ネタ要素も点在している。
プロレタリア作家の「明るい」諧謔
★★★★★
プロレタリア作家、小林多喜二。彼を語る上で、その政治的思想と闘争活動を抜きには語れないのは事実です。しかし、彼はそれだけの作家だったのでしょうか。人間とは政治的面だけを見てすべてを語れるものなのでしょうか。
『独房』は刑務所内で主人公が体験する日常的スケッチ集ともいうべき作品です。受刑者という立場の非日常な日常。そのなかで主人公はいくつものユーモラスな光景を見出します。独房のなかにおいても、心はくじけず「笑い」を見出すのです。
『党生活者』において、主人公「私」は生活の、思想のすべてを党の活動(ビラまきなど)に捧げます。党活動にのめりこむ主人公。彼はそのことで愛する女性を不幸にしていることも、また別の女性から愛を向けられていることも目に入りません。党生活者としての彼の熱意、そしてその生活の実状には、一種の滑稽さが漂います。
ユーモアとは人の心の肯定的力です。皮肉とは単なる冷笑ではなく、愛情の表れの場合もあります。小林多喜二という小説家をイデオロギー抜きには語れません。社会(そこには人の心の表れがあります)の暗い面と切り離しては語れないのは事実です。しかし、それだけで彼を語りつくせるわけではないのです。彼の社会を見つめる視線も、文学を通じて社会を変革しようという意思も、その根底にはポジティブな、明るく前向きなこころが流れていたのです。それこそが小林多喜二の小説の力なのです。思想的なものだけに収まらない、人間を見つめ語られる物語の力なのです。
ここに小林多喜二の真の姿があります。生きることを肯定し、生きることにユーモアを見出す「明るい」作家の姿が。