朱子学の「理気学」というものがあること自身知らなかったので、多少分かり難いところはあるが、「理」とは道徳・理念であり、「気」とは、利益・欲望であり、人々の行動は、この「理」と「気」の混ざり合いによっているという程度の理解で読み進む。
著者によれば、韓国あるいは北朝鮮では、大きな「理」が支配していて、「気」との峻別が明確になされているという。一方、日本では「理」「気」ともに弱い上に、大きな一枚板の「理」がなく、「理」自身が細分化されているのだそうだ。
この「理」と「気」の二元論で!、韓国人の行動パターン、人気映画作品、金嬉老事件、金正日のジョークまでを解説してしまうという訳だ。
良くある、パターン化の手法同様に、この手の二元論にすべてを振り分けてしまうと、不思議と振り分けが出来てしまうのは、比較文化論などで良く使われる手である。
果たして「理気学」なるものが、魔法の杖なのか、単なるこじつけかは、何とも言えないが、全く自分の六感的な判断からすれば、余りに単純化されたこのような論法を信じる気にはなれないのも事実だ。