愛のある哲学
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私たちは人間で、哲学は「どうして私は私なの?」と考えるところから入り込む学問なんだと
改めて原点に立ち返ることができる良書です。
まあ専門でもないしあまり詳しくもない私の感想ですが、
簡単なことを難しく解くような本はまったく興味がもてないので・・・
最後まで興味深く読めました。
序説としての「あなた」の哲学
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「この本は……日本語で書かれた『あなた』についてのたぶん唯一の、十分に考えられた考察である。」(234頁)
こう書かれてしまうと、「そこまでかなあ」と思ってしまわないでもない。上野千鶴子批判に始まる個々の論考にはそれなりに読み応えがあるし、他者論に回収されてしまい得ない「あなた」論が提起されたことの重要性も十分に認められるだろう。だが、それにしてもなお、この議論が「『あなた』の哲学」としてある輪郭を持った形を結ぶためには、論ずべきことはいまだ多く残されているように思う。
一つだけ指摘するならば、「あなた」と呼びかけうる究極の宛て先としては、呼びかけ得るのに存在しない者、例えば「死者」などが挙げられるだろう。けれども、「三世代存在」とうたい、レヴィナスを参照し、『智恵子抄』を引きながら、本書の議論は不思議とその究極の境地へは踏み込まない。
そこから感じられる小さな違和感は、評者の個人的な趣味の問題に過ぎないかも知れない。だがそれは、西田幾多郎を論じながら(「死の哲学」に取り組んだ)田辺元を論じない、という点に、もしかしたらつながってくるかも知れない。「あなた」と呼びかけ得る/呼びかけ得ない死者のことを視野に入れない「あなた」論では、問題の全体を視野に捉えることはできないのではなかろうかと思うのである。
「他者」から「あなた」へ―日常感覚に根ざした思考への道筋
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本書は、児童文化を専門とし
現在は、同志社女子大学教授であるである著者が
「あなた」という概念について論じる著作です。
筆者は「おひとりさま」ブームなどに疑問を呈した上で、
それらが前提とする哲学的な「他者」概念とは異なる
日常の感覚に根ざす「あなた」概念の重要性を解説します。
「あなた」概念が、「怪物」としての「他者」とは対極に位置するという指摘や
フーバーやニーチェの訳をめぐる考察など
興味深い記述は多くありました。
なかでも、個人的に印象深かったのは、
認知症の妻との生活を描いた、
耕治人の小説『そうかもしれない』に関する箇所です。
著者は「あなた」という観点から、
当事者に寄り添うような、温かみのある「読み」を展開しますが
そうした解釈とは異なる「読み」も紹介されています。
私はその作品を読んだことがなかったので、
この機会に読み、自分がどの解釈をとるのか決めようと思います。
「あなた」概念を通じ、人と人とのつながり説きつつも、
家族は大切という安易な一般論に帰着しない本書。
いわゆる「哲学」的な議論に疑問を持つ方はもちろん
多くの方におススメしたい著作です。