芥川賞作家としてはじめて名を成したかに見える町田康=町田町蔵、1981年のこのINU唯一のアルバム以来、実はその根本は不変だ。この作品はいわゆる“パンク”じゃない。ジョニー・ロットンの痙攣(けいれん)歌唱にこそ影響は受けている。しかし、この段階でINUは、欧米のニューウェイヴ勢より高度なテクニックとポップですらある楽曲で、ロック文脈として明文化される以前のごくパーソナル(=普遍的ということだが)な覚醒した諦観や混沌を描き切る。逆さに振っても血の一滴すら出ないほどの容赦なさで。また町田の存在感に隠れがちだが、ギター北田昌宏のジャンルを越境した演奏や構成力は、その後の80年代のP.I.Lやトーキング・ヘッズ、もっと言えばテクノにすら先んじている。(石角友香)
最強の一枚
★★★★★
町蔵の狂った歌詞と北田の変態ギターが絡みつく最強の一枚
凛として時雨
★★★★★
凛として時雨のがきいたのは先でした。
チガウっていわれても、凛として時雨が町田町蔵ってダレ?
とは言えないよ。アルペジオ、ビート。 魂ですか
町蔵不滅
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高校生の頃、Sex Pistols, スターリン、Classと、このINUは、最も衝撃をうけたパンクバンドだった。実は、町田さんが出演した映画、”¥ロビンソンの庭”に、私もワンシーン出演させてもらっていて、本人とは映画の打ち上げであっている。でも、あれだけ憧れていた人なのに、側に寄ると、すごいテンションを感じて(ほとんどの人とはフレンドリーな町田さんだったのに・・・。)私は、話をすることもできず、それっきりだった。私も、かなり感受性が高い人間だと思うけど、同じものを感じた。プラスどうしの磁石がくっつかないような感じで、あっ、だめだな、と思った。あんなに近くまで接近したのに、まったく接触することはなかった町蔵さんだったけれど、このINUと、町田町蔵という人の存在感は私のなかで不滅だ。高校生の頃の私には、町蔵の存在感にばかり圧倒されて、他のことに気がつかなかったけれど、ギタリストのプレイの凄さは、このINUを名盤にしたのに、かなりの貢献をしている。町蔵の凄さと、演奏の上手さが重なって、これを名盤にしていたのだ。凄い人たちが、ある時きゅっと一瞬一つの点にあつまって、すごいものを放出する。それがINUだったんだ。その一瞬集まれるってことが天才なんだ。凄いなー。素敵だ。私は、あなたがいとしい、くそまみれにしてくれ!(くそは、やっぱりやだな笑)。
才気迸る
★★★★★
「アングラなパンク」というイメージを勝手に持っていて、
なんとなくハナタラシみたいな怖いのを想像していた。
実際聞いてみると演奏隊は非常にテクニカルでキャッチー。聴き易い。
町蔵の歌声は大声で怒鳴り散らしている・・・のではなく、
ふざけているのか本気なのか、よく分からないユニークな声。
しかし、同時に狂気と知性の中道を行くような危うい雰囲気も感じさせる。
全曲良いですけど、特に305を僕は薦めたいです。
この声は、どこから?
★★★★★
この声は、どこから聴こえてくるのだろうか?
冥界、という言葉はある。私は、冥海、という言葉を想定する。
この声は、冥海から聴こえてくる。
死者の声だ。水の中から聴こえてくる。くぐもっている。言葉にならない声。
町田さんの声に、もっとも、冥海を感じるのは、「メリーゴーラウンド」だ。
町田さんの声は、冥海の中から聴こえてくる。はじめは、ごく浅いところから。
歌い進めるにつれて、深みに沈みつつ、町田さんの声は、スピーカーを振るわ
せ続ける。やがて歌声は、空を目指して、浮上して来る。曲の終局にいたって、
全く良い加減な現実
全く良い加減な現実
全く良い加減な現実
という叫びが、冥海の水面下から飛び出すが、やがてその言葉も、ぷつりと消
える。
町田さんの声を聴いていると、なぜか、日本の伝統芸能――能とか、歌舞伎と
か――を連想してしまう。この世ならぬ声、を感じる。引きずり込まれそうになる。
またしても、へんてこなレヴューになってしまった。失礼しました。