未発掘の井戸の発見
★★★★☆
人間を全体としてとらえる、人間をもっとわからないもの、不明確なものと考える。
これが河合隼雄の基本的なスタンスである。
それは分析的な近代科学に対するアンチテーゼでもあった。
確かにこれまでの科学は次々と新しい技術を生み出し、
実際の我々の生活においてその有用性を誇ってきた。
しかし一方、世界と自分とを切り離して対象化する手法は世界との関係性を希薄にし、
我々が心豊かに暮らすことを妨げる下地にもなったのである。
河合はこの著作の中で、デジタル的なものとアナログ的なものとの折り合いのつけ方、
相互補完性を強調する。
神話の中では親殺しも子殺しも、また古来のイニシエーションではいじめに近い行為も
ごく当然のように行われていた。
これを現実とどう重ねるか。現代において、我々はもう未開社会の思想に後戻りはできない。
河合はイニシエーションの本来の意味や神話的元型を今に持ち込むことによって、
人間と世界との関係性を自覚、回復させ、危機を回避できると考えた。
科学の知に対して神話の知を対抗させることにより均衡を保とうとしたのである。
この本で河合隼雄は雄弁かつ寡黙である。
ライフワークや老い、神話的世界やファンタジーについて彼は思索を縦横無尽に繰り広げる。
だが、時として何も語らず、相手の顔をじっと見つめて様子を窺うことがある。
彼に見つめられることにより、読み手は自分の中に未発掘の井戸を発見する。
そして、井戸の深さを推し量りつつ、底に何かキラリと光るものが見出せないか目をこらす。
彼と共に読み進めること、それが宝探しの大冒険となる。
ユングや明恵上人の晩年の夢を紹介し、死に対する心の準備を説いた河合であるが、
文化庁長官在職中の2006年8月に脳梗塞で倒れ、1年後の2007年7月意識不明のまま亡くなった。
思いもかけない最期であったが、意識不明の1年間、彼も生と死の接点でゆっくりと
次の世界に住む準備を進めていたに違いない。