公園の芝生で寝ころんで缶ビールを飲んでいると、知らない初老の男性に声をかけられ、あげくの果てに、その男性に「あなたはわたしの妻に似ている」と言われたセイシュンの日の思い出話や、ベタベタのスパゲティナポリタン(略称スパナポ)が突然食べたくなり、町中の喫茶店を探し回るもけっきょく見つけられず、むくんだ足を引きずりながら家に帰った話など、これまでにさまざまな新聞や雑誌に連載されたエッセイ59篇を収録。どのエッセイも、彼女の日常に横たわる時間をやさしく紡ぎ取り、独特のタッチでしたためたものばかりだ。
エッセイの中には、ヘミングウェイやマルグリット・デュラスをはじめとする作家たちとの出会いのほか、川上文学の礎を築いてきた数々の書物についてのエピソードも数多く盛り込まれており、作家川上弘美の人となりや魅力を十分に感じることのできる内容となっている。
彼女は1996年に『蛇を踏む』で第115回芥川賞を受賞した後、『溺レる』で伊藤整賞と女流文学賞、『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞を受賞するなど数々の賞を獲得。日本文学のなかでも、筆力は折り紙付きの女流作家である。
彼女が連載エッセイを書いていて、最後の回になると必ず思うことがあるという。「さみしいから文章を書いているのに、書くことによってますますさみしくなる。難儀です。でも生きているから、生きのびてこられたから、さみしさも感じられるわけです。難儀もまたよろし、ですね」。(石井和人)
この人とお友達になれたら、と今更ながら思わされる
★★★★★
ご本人によると「まごまご」したエッセイ集。その、スローというより、まごまご加減が、ことのほか気持ちいい。
それに、川上弘美さんは自分に似ている、とかなりたくさんの人に思わせる魅力がある。たとえば、古本屋の100円ワゴンをのぞいて、「なんでこんないい本がこれほど安く」と「歓喜」したり「悲しい気分に」なったり、というくだり。また、ワインを包んでもらうとき、「贈り物」「プレゼント」「おつかいもの」「みやげ」。いろんな言い方があると感心する酒屋のレジの前……。
自分の存在の重さを「忘れているうかつさと、忘れていられる安らかさ」。こんなふうに自分を観察し、表現できる作家という仕事は、なんて不思議なのだろう。フレンドリーでゆかいで笑えるけれど、彼女には自分を守り、育てるパワーみたいなものがある、と感じさせられた一冊でした。
癒し系
★★★☆☆
川上弘美さんの本は、この「ゆっくりとさよならをとなえる」と「なんとなくな日々」のエッセイしか読んだことありません。いずれも癒し系の本です。
毎日なんとなくすごしていて何が悪いという感じです。
ほっとするのです。
★★★★☆
水があう、というか。
土があう、というか。
川上さんのエッセイの、この空気感がすき。
なぜか、ほっとするのです。
おつまみと、おさけと、ほんをならべて、ちびりちびりとやりながらよみたくなります。
大好きな人
★★★★★
大好きな人。川上弘美。友達になりたい人。
小説も好きだけれど、エッセイもまたいい。
作家になるために生まれてきたような人。
一人でふらりと近所のお店に入って、お酒飲んだり、
あてのあるような無いような気持ちで電車に乗ってみたり、
どうでもいいよなことにこだわってみたり、
のんびりと過ごす週末を後押ししてくれる一冊。
ほのぼのの中のしんみり
★★★★☆
川上 弘美さんの小説を初めて読んだとき、その独特のまったりして不思議な魅力に惹きこまれました。
こんな独自の世界を描き出す人はどんな人なんだろう?と思ってこの本を手に取りました。
作品と同じように緩やかに時間が流れているような、ステキなお人柄が滲み出ていて、なおかつ日常を語るその言葉の中に珠玉のひと言が巧みに散りばめられています。
「・・・でも生きているから、生きのびてこられたから、さみしさも感じられるわけです。難儀もまたよろし、ですね。」というあとがきの中の文を読んで、大きくうなずき、ボロっと涙を流しました。