圧倒的ボリューム
★★★★★
待ちに待たされ待ちに待ったこいつを手に入れた時の感動たるや。
待たされるというストレスと、待ってまでもという期待感。
大竹さん曰く、どんどんどんどんページが増殖していき
結果こんな厚さ(重さ!)に、と。
只ならぬ本書は不穏ささえ感じる爽やかぶり。
ページを捲る手に喜びを感じる重量級のこいつは
スクラップブックを継続して制作している大竹さんの匂いがする。
力を要するからこそ、視覚に訴えるものがある。
とにかくこの重さに触れてほしい。
開くのに最も体力のいる本
★★★★★
彼自身のスクラップブックを思わせる大きさ。
常識的に本と呼べるギリギリのサイズだが
印刷や造本に妥協がなく常識外の重さ。
ギブソンのレスポールより重い。
取り出して、カバーを外し、開くのにも読書の範囲外の体力を要し
膨大な作品群で見るもの圧倒した展覧会の図録として
別のかたちで特別な経験をさせてくれる。
気軽に手に取れるものではないが
立ち向かう、という感覚を与えてくれる数少ない本。
■このアートは、「圧倒的」である。と思う。
★★★★★
■直島銭湯に行った。
大竹さんのこの銭湯は、「公衆浴場」ならぬ「公衆欲情」で、
多くの発情アート、発情装置に彩られている。
■脱衣場の「海女のブルーフィルム」、浴槽の「春画コラージュ」、
正面の銭湯画は、まさに、海女が命綱を切って大ダコに向かっていく「戦闘画」である。
どんないやらしい展開が待ち受けているのやら。
■天井画も、卵子に向かう、怒涛の精子が、
崇高な宗教画のように、大日の透過光を利用して描かれているし、
カランも、発情のエッセンスで一つ一つが宝石のようだ。
「押」「押」「押」もう、こんなことしていいのか。と思える、最高傑作である。
■その後、さらに「家プロジェクト」の「はいしゃ」を見た後、自宅に戻り、この「全景」を見返した。
4年前の東京での全景がフラッシュバックした。会場のへっぽこな楽器音まで聞こえてきた。
■この作家は、全景を踏み台にして、新たな時空を超えるPOPに向かっている。そう思う。
それは、日本美術の閉鎖空間を離陸して、俯瞰して、愛のある絨毯爆撃を繰り広げつつ、
やがて、新たなワールド=人類最後の遊び場を作ってくれるのだと思う。
■日本全国、市町村は、大竹さんに税金をあずけて、銭湯を作ったらいい。
グローバル経済はどうなるか知らないが、各地に「大竹銭湯」ができれば、
ココロの景気はよくなるはずだ。
そこで交わされる談義は、国会答弁よりも国造りに有益だろう。
■「ハブリック・アート」というコンセプトが、大竹さんによって具現化されようとは、
家プロジェクトのOS上とはいえ、そこに乗っても大いに暴れ続けられる
大竹アプリケーションの秀逸さ、過剰さは、この「全景」カタログを見れば、即座にわかる。
■「全景」展で示された大竹さんの北海道の牧場の牛臭さが、この銭湯にも感じられて、
コーヒー牛乳を飲みながら、なぜか涙が出てきた。
大竹さんなら、この焼け野原日本が闇市から復興する「方法」を、おもしろく示してくれるように思う。
福武さんが大事にされた大竹さんを、家プロジェクトのスキームに乗せて、こんなにコンセプチュアルに
離陸させたキュレーターの業績にも感謝します。続編の「全景リターン」、待ってマース。
この本の正しい使い方は
★★★★★
ボウリョク的な行いに用いるものだ
ガツーーンと、誰かの脳天をコイツでやるものだ
その為のデカさだ、その為の重量だ、その為の量だ
ただ、ガツーーンとボウリョク的な行いをするのに、
こいつを振り回す必要はない
ページを開いたら良い
いつまでも終わらない、まだ終わらない
そんな体験をした作品集がかつてあっただろうか
まさにこの重量と量こそが大竹さんらしい