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マルクスの逆襲 (集英社新書 494B)

価格: ¥735
カテゴリ: 新書
ブランド: 集英社
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気分を読むべき本 ★★★☆☆
マルクスは国家社会主義者じゃないし(マルクスとその畏友=ラッサールとの論争・罵倒合戦を著者は知らないのだろうか?)、そもそも官僚統制と社会主義は別物だし、社会主義・共産主義について知識のある人には色々と苦しい本である。しかし、大筋で書いていることは同意できるし、「あ、そういう気分だったんだな」と思いながら読むべき本ではないかと感じた。そして、マルクスを離れてしまっている日本の歴史の箇所(第三章)は、見事な歴史のまとめとなっている。

また、最終章は歴史の総括ではなく、経済ショックを受け、未来を考えた章である。マルクスの混乱した・矛盾した夢=気分(共同体主義と世界主義の奇妙な同居)を反映した箇所がある。これは取り様というか好みになるのかな。まあ、軽い軽いマルクス入門ということで。但し、マルクスとは無縁のものがマルクスの名を冠しているところがあるのでご用心。
「良識と共同体の再生」、がやや空しく響くのは・・・ ★★★☆☆
マルクスの目標は、
1) 社会おける貧富の格差の解消
2) 社会の中に自分を位置づけてそこに生きがいを感じさせる、そのような社会のシステムの実現
であったということで、
現在の大恐慌の広がりは、著者の目には
「わたしは、マルクスが予言した、資本主義の末路だと見ている。
資本主義は必ず破綻するとマルクスは予言した。資本家はますます資本を増やし、労働者はますます貧乏になって、貧富の格差が極限に達すると、大暴動が起きて資本主義社会は崩壊する」

また、消費大国“アメリカ”の消滅ゆえに、この経済停滞は根底的であり、労働力という「もの」の供給過剰となり労働賃金が一気に下がることと、資本の流動は実は貧富の格差を拡大すること(大富豪はより豊かになり大貧民はより貧しくなること)が確実、

と映るがゆえに「マルクスの逆襲」というタイトルになったらしい。

確かに資本主義は崩壊したと思うし、自分を「中流」とも思えない大貧民による暴動やテロがいつどこで起きてもおかしくないので、この点に異論はない。

しかし、最終章を「マルクスの逆襲が始まった」という決め台詞で締め括って原稿を渡した後に、予想以上の恐慌の広がりを前にして予定外の「あとがき」を書く羽目になったようである。
著者はここで、この状態の打開のために、国民が、イギリスの“ジェントリー”がもっていたような良識を持ち、共通の理念を持つことは不可能ではないと強調するが、やはり空しく響く感は否めない。

人類は数百年の間、政治・経済・社会体制の変革が幸福をもたらすと信じ活動してきたが、
それらが完全に行き詰まったのが今回の恐慌だからだ。
三田が紛れもなく全共闘世代であることはよくわかったが、新たな観点を提示して欲しかった。
団塊向けマルクス総括本 ★★☆☆☆
団塊世代が、学生時代からのマルクスとの付き合いを、その後の社会情勢とともに総括する内容。ものすごく軽い「私とマルクス」と言えなくもない。
物心ついたときには冷戦が終わっていましたというような世代には読みやすい入門書となるかもしれないが、いかんせん内容が一般的過ぎる。独自の視点などがあるわけではなく、昔話ペースでさくさく進む。だがなにより残念なのは、「結局結論が何なのかよくわからない」こと。構造改革を否定するのはいいけれど、じゃあ財政再建派誰がするの?あなたがた団塊が浪費しつくした借金は誰が返すの?そういった視点がゼロで「マルクスの理想」を語られても、30代としては「へー、あそう」って感じ以外に何も感じない。
入門書なのだけど団塊以外に受けなさそうな妙な本である。
ニホンの未来は、ウォウオゥウォゥオウ‥? ★★★★☆
 70年安保でマルクスの洗礼を受けた著者が、40年の時を超えて
比喩を交えながらマルクス経済学を解説しているということ自体が、
面白い。
 現在の経済的状況のもとで、『マルクスの夢は貧富の格差のない
豊かな社会の実現と、すべての人に疎外のない充実した人生を与える
ことだった。つまりは生きる目的、生きる希望が必要なのだ。』と
語っているのもナンだか皮肉っぽい。

 農業共同体を再構築し、マルクスが目指した疎外なき労働社会を
実現しよう! カネがすべてじゃないじゃないか、生きがいのある
人生こそ最良のものだ。いまこそマルクスの復権を!と言っているのは
カネの亡者が跋扈する現代社会への痛烈な批判‥。(?)
著者の真意は不明だが、その辺が三田誠広らしい。
マルクスの入門的内容 ★★★☆☆
自身全共闘世代であり芥川賞作家でもある筆者による、「なぜあのころ、僕らはマルクス主義に熱狂したのか?」を探る論考、になるはずだったらしいのだが、書いている途中に昨年秋以来の例の世界的金融危機が起こったのがきっかけとなり急遽方向転換。そのため、前半と後半で実はすこし文体が異なっている、ということを彼は明かしている。
前半はまさに入門的内容。カール・マルクスという人物や疎外などに代表される思想、それに伏流している歴史観、全共闘世代への影響から、冷戦の終結によってマルクス主義が資本主義の前に「「不戦敗」的に没落していった経緯までを解説。一方後半、というか終章では、今度は逆にその資本主義の過剰によってもたらされた今現在進行中の恐慌というアクチュアルな問題を論じている。

著者が物書きということでわかりやすくなっているということもあるが、すでにマルクスの原著にあたっていたり、ほかの入門書の難解な解説を読んでいる読者にとっては、はっきりいって「かったるい」内容だろう。もっとも、新書と考えればそれは乃第点ということになるのかもしれない。

ただこれがこの人、というか啓蒙主義者の限界なのかなぁとせつなくなったのは、最終的な問題の持っていきかたとして「良識」(人情と言い換えてもいい)を説いてしまうところだろうか。たしかにそれはわかる、人を思いやる良識は大切だ。しかしよく考えてみれば、この恐慌の主犯格であり、何から何まで富を収奪する(していた)現代の投資家たちに彼のいう意味での良識があるわけがなく、そういう人たちはおそらく、「良識を持て」という啓蒙にすら耳を傾けないほどに良識がないのであるから、まさに、馬の耳に念仏。