宅子の「東路日記」のおもしろさは、その歌にあろう。訪ねる土地土地の地霊への感謝を込めた歌は、伸びやかで素直である。「万代も思ひやられて丸亀の城はゆたかにかすみたなびく」。一方、古典を踏まえた歌は、重畳する文化の堆積を詠み込みながらも、一種のユーモアも感じさせる。「ものがたりかきしむかしをしのぶかなこの山寺に須磨も明石も」石山寺で紫式部をしのぶ歌である。この寺で「須磨・明石」の巻も書いたであろうなあ、という詠草である。何げない感慨のようだが、古川柳の諧謔味があふれているではないか。 そういえば、著者には『川柳でんでん太鼓』という、現代までの川柳概説本もあった。
『道頓堀の雨に別れて以来なり』という、川柳作家岸本水府の伝記もある。この著でも、江戸時代後期の風俗を活写する、古川柳の数々のを紹介して、解説に厚みを与えている。 国文学の博識のうえに、川柳のユーモアを交えて、時代を活写する著者のさわやかな語り口に酔う。いや、ただ酔うたげてはない。いつのまにか感動の波押し寄せて、読者の目に涙を誘う。そういえば『道頓堀の・・』でも、最終章では涙が止まらなくなった記憶がある。
私も参宮道中記を原本で、解読活字本で、さまざま読んでいるが、このような流暢な解説本を書いてみたいものだ。また、我が出羽の人、清川八郎『西遊草』を多く引用して、名所旧跡へ男性の視線、女性の視線の違いを指摘してくれたこと、道中記読みにとっては、貴重な教導となっている。