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絶対音感 (新潮文庫)

価格: ¥620
カテゴリ: 文庫
ブランド: 新潮社
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 「絶対音感」とは、ある音を聞いたときに、ほかの音と比べなくてもラやドといった音名が瞬時にわかる能力である。これがあると、一度曲を聴いただけで楽器を弾いたり楽譜に書いたりでき、小鳥のさえずりや救急車のサイレンの音程がわかったりもする。過去の偉大な音楽家のベートーベンやモーツァルトにはあったとされ、一般人に計り知れない能力として、天才音楽家の条件のように言われることが多い。

   しかし、「そもそも曖昧であるはずの人間の感覚が“絶対”とは何なのか。そんな疑問と語感の強さに引かれ、翌日辞典を開いたその瞬間にはもう、その言葉のとらわれの身」となり、著者は絶対音感という神話を解き明かそうと試みる。五嶋みどり、千住真理子、矢野顕子、大西順子、笈田敏夫ら絶対音感をもつ音楽家を取材し、その特異な世界を紹介しつつ、脳科学や神経科学の専門家たちにあたって分析を試みる。音楽と科学の間を行き交いながら、絶対音感にも仮性と真性があるなど、「絶対音感=万能」という安易な幻想と誤解を一枚一枚引きはがしてゆく。

   過剰な表現や構成力の不足はあるものの、本書は第4回「週刊ポスト」「SAPIO」21世紀国際ノンフィクション大賞を受賞し、著者の出世作となった。裏を返せば、それだけこのテーマがおもしろい証拠だろう。一般人とは無縁の音楽家たちの深遠な世界が興味深い。また、五線譜のエンボスを施したオフホワイトの装丁が上品で好ましい。(齋藤聡海)

うーん ★★☆☆☆
本の内容は兎も角、良くも悪くも絶対音感の言葉を広めたと思う。
ただその言葉の魅力からか、深い理解もせず、コナンみたいな
映画が安易に作られるのはどうかと思う。
ピッチの問題。調律の問題等、考察すべき部分は多いと思うが、
余計な記述が多いと思う。
「探求」をやめずに生きた人の詩がベースにある ★★★★★
2002年−体調を崩していて、いろいろつらかった頃−に
この本と出会った。

そこにあったのは、音楽に携わる人々、
絶対音感をめぐる人々の生き様だった。

結局は、「絶対」というものは存在しないのかもしれない
と思う。

「絶対音感」も、人間が決めたルールの上に
存在するのであって、
自然の真理としてそこにあるわけではない。

先天的にその才能を授かる人もいれば、
小さい頃から叩き込む人もいる。

「絶対」という「正しさ」を追求するのも必要だけれども、
そのために「相対」という「周囲とのバランス」を失っては、
音楽することも生きていくことも難しいのではないだろうか。

この本に引用されているボリス・パステルナークの言葉は、
私にとってはすべての本質のように思える。

研究から日常生活まで・・・。

いや、すべての「生」(life)−「生活」、「人生」、「生命」−の
本質に思える。

すべてにおいてわたしは至りつきたい
核心そのものまで
仕事や 道の探求
心の擾れにおいて
流れ去った日々の本質まで
それら原因まで
基底まで 根まで
芯まで
絶えずもろもろの運命の
出来事の糸をつかまえながら
生き 考え 感じ 愛し
発見を成就したい

絶対音感というものに翻弄され、音楽家の夢を諦め、
それでも、「探求」をやめずに生きた人の詩が
この物語のベースを流れているような気がしたのだ。
前半よし、後半はちょっと… ★★☆☆☆
音楽を生業としていますので、興味深く読みましたが、ちょっと文章が読み難いです。
同じような論拠の提示の仕方を何度も繰り返すので、半分目にはもういいよと思いました。
後半部分が、絶対音感と関係ない話ばかりで、何も解決や提案、疑問の提示にもなっていないと感じて、読み終わった後にかなりの消化不良です。この本のおかげで絶対音感という言葉が一般の方にもよく知られるようになりましたが、悪い意味で知られるようになったのではないか、と、思います。
それなりの読み応え ★★★★☆
音楽に詳しい方々には不満な点もあるようですが、特に詳しくない自分にはそれなりの読み応えと、知らない世界をのぞき見た満足感を与えてくれる作品でした。独語の満足感のある作品だと思います。
「音楽は人類究極の謎」 ★★★★☆
「絶対音感」の定義、それは例えば「ランダムに提示された音の名前、つまり音名がいえる能力。
あるいは音名を提示されたときにその高さで正確に歌える、楽器で奏でることができる能力」。
 持たざる者にしてみれば「音楽家への道を約束する手形」にも見え、かたや持つ側には「人の
発達にとって問題があるんじゃないか」とさえ悩む者もある。
「そもそも曖昧であるはずの人間の感覚が『絶対』とはどういうことなのか。……絶対音感は変幻
自在に色を変え、姿形を変え、私を奥深き聴こえの森へと次第次第に引きずり込んでいく」。
「絶対音感」をめぐる教育の変遷、脳科学や人間工学など諸科学から観察する「絶対音感」、
「基準音」が持つ相対性と混乱などから、やがては「絶対音感」の向こう側にあるものまで、
著名音楽家への豊富なヒアリングを交えつつ説いた作品。

 膨大な文献やアンケートを重ねつつも、ただの資料の羅列に堕することなく、読ませる技術と
粘りにおいてはつくづく敬服させられる一冊。
 ただし、おそらくは筆者にとっての本書最大の問題、「唯脳論的傾向にある科学の考え方を
突破する可能性を持つのが、音楽ではないか」との疑問、あるいは希望をどこか隠蔽しつつ、
それでいて論点先取的に展開していく点が私にはどうにも気になってしまった。
 ある作曲家の証言、「絶対音感がなければその色彩感がなくなって、私の音楽世界はモノ
トーンになってしまう」、このように持つ者と持たざる者の知覚の壁を一方では認識しながら、
その傍らで「絶対音感」とは「音楽性とはまったく関係のない物理的能力」との証言を用いて、
いつの間にかそうした音感の壁を半ば無視して、音楽がもたらす「心」や「感動」といった未知で
曖昧極まることばに飛び乗って、そのさりげなき転向を決定づけるかのように、「絶対音感」とは
果てしなく無関係な五嶋親子の絆の物語をもって締めくくってしまう。科学研究が未だに音楽に
よってもたらされる情動変化や共感の謎を解き明かせていないということを語りたければ、
「絶対音感」の話は少なくとも本書の展開上、限りなく不必要だと思わざるを得ない。
 紹介されるエピソードはいちいち面白いのだ、ただし、同著者による『青いバラ』にしても
そうなのだけれども、自身の目的意識とアプローチを明確にすることにやや欠けているがために、
ややもすると冗長で、不規則に見えてしまう。
 奇しくも本書は『絶対音感absolute pitch』、そのabsoluteの語源はラテン語absolvere、
すなわち「切り離すこと、分離させること」。他のレヴューも指摘するように、本書がabsolvereを
成し得ているか、と問われればそれはたぶん否なのだろう。
 優れた本を書ける人であるがゆえにその点がひどくもどかしく、でも寄り道なく最短距離で
明確で隙のない主張を展開する最相葉月なんてものがいたならば、それはそれでもはや
最相葉月じゃないよな、とも思ってしまうだけに否定する気にもまるでなれない。