新一と関係ない記述が多い
★★★★☆
上巻の続き。
ショートショート作家として圧倒的な人気を得、業界の重鎮となりあがった新一の晩年が描かれます。
その透明でシニカルな作風から想像していた性格とは全く違う、ネタの枯渇に苦悩し、才能に嫉妬し、賞に執着するという小人物っぽいところがある一方、締め切りを厳密に守り礼儀作法を忘れないという厳格なところもありますますよくわからない人物に。
全体的に話があっちこっちに広がりすぎており、星新一単体の話を読みたいんだという向きには余計な部分が多いです。
正直SFそのものの興亡とか純文学との確執とかわりとどうでもいいです。
渾身の力作
★★★★★
星新一の評伝下巻。作家・星のデビュー以後が描かれる。将来、新しい事実が判明することはあっても、総体として本書を超える規模と質の作品が現れることはないと思えるほど、精緻で巨大な仕事である。但し、終盤ではずいぶん感情的な表現が目立つ。「東京大学応援部物語」でも感じた欠点である。脱稿間近の安堵感がそうさせたのか。披露宴の司会者が宴の終わりに泣き崩れてはいけない。それと同じこと。
1. 数年前。
「これが和文の論文の200本目になるのですよ」
「先生、N(エヌ:量)で勝負してませんか?」
医学の世界では原著論文の質と量とが偉さの基準である。大事なのは外国語論文。日本語の論文、とりわけ総説などは評価の対象にもならない。それを私は20年以上書き続けている。だから、もちろんその歴史的意義の大きさには無限の差があるけれど、星の作家としての境遇が多少は身につまされた。「先生の医療への貢献度は非常に大きいと思いますよ」と誰かが言ってくれても、大向こうは見向きもしない。この私でさえ徒労感がある。私より何桁か大きな憤懣を、星は終生抱えたのではなかったか。同時にまた、Nを稼ぐこと自体に、モチベーションの源泉があることも事実である。星にとって最後の200編ほどは、一歩でも前に進むという、マラソンや登山に似た感覚があったのではないか。
2. ショートショートの価値をいくら力説されても、日本では無理ではないか、というのが私の思いである。文学に親しむほどの日本人は昔も今も勤勉なのであり、(多くの場合、乏しい時間をやりくりして)苦労の末長い作品を読み終えて初めて満足するメンタリティを持っていると思う。人生を楽しむ余裕がないと、この形式には馴染めない。子どもと若者が読者の中心、というのは、だから非常に理解できる。もったいないことではあるのだけれど、この世知辛い国、それをまず何とかしなければ。
星親一として
★★★★★
作家星新一だけではなく、人間星親一がなぜ誕生したのか。
その点を考えさせられる評伝でした。
鴎外好きの人間としては、星新一の大伯父、「家長森林太郎」と「作家森鴎外」の関係を連想してしまいました。
祖母、父母達の期待と兄弟、妻子達への義務を必死で果たす中で生まれた森鴎外という人物。
父が残した負の遺産を母にも兄弟にも、まして妻にも言えないで処理し、耐え抜いてきた星親一が、
「星新一」として生きることでしか道が残されていなかったようで、世の中の不条理を感じさせられました。
そのために星新一は、いつの間にか星親一を押しつぶしていったように思えます。
若くして責任者として生きなければいけなかった林太郎と親一は、どちらも「鴎外」「新一」として
の仮面をつけ、そしてそれが次第に仮面なのか本人なのか、あいまいになっていく。
なまじ過大な責務を負えるだけの器量があったから、それを受け止めざるを得ず、
そしてその矛盾を解決するために、別な表現者として生きることになっていく二人の人間をみて、
もちろんそのような器量がないながらも、責務を負ってきた人間として、生きることの非情さを味わいました。
鴎外は華族になりたかったという説があります。そのような形での証が欲しかったということに私は納得できます。
そして文壇で評価して欲しかったという星新一の想いを知ると、「血」というもの、負わされた者の苦しさ、
そして、その中から生まれてきた両者の膨大な作品群への敬意を覚えます。
良く調べているが・・・
★★★☆☆
私は星新一の良い読者ではないので(30〜40年位前には結構読んだ記憶がある)、書かれていることは知らないことばかりで
大変勉強になった。しかしながら、
他のレビューに「粘着質」のところがあるとの指摘もあったが、私としては全体的に書きぶりが大変気になった。下品な言い方を
させて貰えば、書き方がとても「偉そう」なところであります(神の立場?)。だから、熱烈な星新一ファンのなかには反発を感じ
る人もいるのではないでしょうか。
もう一点は、何か全体的にゴチャゴチャしており、スムーズに頭に入らず、読みにくい。星新一の「明治の人物史」と比べるとそ
の文章の差は歴然としている(比較するのも失礼か)。
ということで、調査の労を多として★3個としたが、より明晰な展開、きっぱりとした「愛情の籠った」文章にしてほしいという
のが正直な気持ちです。
“星新一”の心の声が聞こえる。あちこちで、じんと胸が熱くなる評伝でした。
★★★★★
本書を執筆した動機として、著者は「あとがき」でこんなふうに書いています。
<一〇〇一編を一作ずつたどりながら、物語が生み出された背景と理由を、そして作家の人生を書き留めたいと思った。子供のころにあれほど引き込まれた作家のことを自分は何も知らない。引き込まれたのに、物語の内容はまったく忘れている。それでも、心に落ちている小さなかけらがある。そのかけらの正体を見極めてみたかった。> 本文庫下巻 p.420〜421
私にとっても星新一のショートショートは、一時期夢中になって読んだ記憶があり、今はそのうちの幾つかを除いてその内容は忘れてしまっているけれど、確かに心の片隅にひっそりとしまわれているという思いがします。ふと振り返ってみればなつかしい気持ちに駆られるたくさんのショートショートを書いた“星新一”という人のことを知りたい、その人となりに触れてみたいと思って本書を手にした訳ですが、その期待に十分こたえてくれる、これは実に読みごたえのある評伝でした。
SF同人誌「宇宙塵(うちゅうじん)」の集まりの席で、レイ・ブラッドベリの短篇「万華鏡」(『刺青の男 (ハヤカワ文庫 NV 111)』所収)のあらすじを、星新一が紹介するのを聞いたみんなが「すごいなあ。すごいなあ」としびれる件り。「宇宙塵」の創刊二十周年の一、二年前に、新一がひょっこり、「宇宙塵」編集長・柴野拓美の家を訪ね、少しだけ話をして、お茶飲んで帰っていく件り。星新一のファンクラブ「エヌ氏の会」で開かれたイベント「星コン」第一回目に参加した新一とファンの交流を記した件り。星新一の葬儀の席上、盟友・筒井康隆が語った追悼の言葉の一節を引いた件り。月のきれいな夜、タモリの別荘で、ドビュッシーの「月の光」をアレンジした冨田勲の音楽を聴きながら、新一が目に涙を浮かべる件り。
この下巻では、新一をめぐるそうした印象的な逸話があちこちにあり、目頭が熱くなりました。
<遺品を検証しつつ人の生涯をたどるのは初めての仕事である。ときに情念が乗り移り、作家の怒りや苦しみがまるで自分自身のもののように思え、腹の底からこみあげてきたこともあった。> p.422 「あとがき」にて
と語る著者の言葉にあるように、作家・星新一と人間・星親一の屈折した思い、ショートショートの第一人者たらんとする自負と人知れぬ寂しい気持ちまでもが伝わってくる文庫上下巻、評伝の労作に感謝! 星新一の初期の短篇集を、久しぶりに読み返してみたくなりました。