低温やけどのように効いてくる
★★★★★
この本はダメだ!!!
読んでいたらドップリ浸かってしまって、やられてしまう。音楽の魔力、いやつつましいがゆえに愛惜措く価わざる魅力、低温やけどのような被害を読者は蒙る。
評者は、基本的に中沢の本を認めない。小谷野敦が『バカのための読書術』で書いているように、彼の本はそのほとんどがオカルトだ。
でも、『はじまりのレーニン』と本書は何度も読み返してしまう。本書も最近わざわざ購入し直したのだった。
冒頭のコダーイ、次のショーソンを読んだだけでもうダメだ。好きとか嫌いとかではない。心がひとつの波紋によって、静かに震えてくる。彼らの「つつましい」音楽がどうしても聴きたくなってきて、日を経るに従ってそわそわしてくる。
ほかにやるべきことも沢山あるのに、またCDを買い直したくなってくる。
そんなことをしていられる身分でもないのに。
ひとつだけ付け加える。
山本容子のエッチングはほとんど音楽だ!!!
中沢さんの本で一番好き
★★★★★
中沢さんの本を読んで、「これスペキュレーションだけじゃないか。全部思弁じゃないか」と言って怒りだした男を知っている。そして、彼に与する人は多いだろうと思う。彼の仕事が学問と呼べるのかどうか、もうひとつしっくりしないでいるのは、私も同じである。でもこの本は違う。もうこの世にはいない作曲家たちが、親密さと敬意とを湛えた品のある文章で目の前にいるかのように描かれる。山本さんの絵との相性も抜群である。
つつましい音楽への愛
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クラシック音楽の、あまり聴かれていない作曲家達についての中沢新一の十一のエッセイと、山本容子の挿画による、美しいコラボレーション。コダーイ、ショーソン、ボロディン、山田耕作、ヤナーチェク等等、中沢に言わせれば「偉大な音楽」のようなものこそ書かなかったが、音楽の素晴らしさを讃えるつつましい前奏曲のような作品を書いた人々に対する、ささやかなオマージュが詰っている。この本を読み、採り上げられた作曲家達の作品を聴けば、吼え立てるような音楽ばかりが音楽ではないことに、「音楽とは、つつましさへの人の願い」なのだと云うことに、きっと気付かせられることだろう。繰り返すが、これは美しい本である。