なんとも熱く厄介な男が日本SFの黎明期にいたことを教えてくれる一冊
★★★★☆
1959年に創刊された早川書房の「S-Fマガジン」初代編集長である著者が、70年代に連載した回想録。日本のSF界をめぐる状況が1960年から67年にかけてどうめまぐるしく回転していったのかについて綴っていますが、連載中の76年春に著者が若くして他界したため未完で終わっています。
本書を通して今さらながら知って驚いたのは、私自身が物心ついたときには既に確立されたSF作家だと思っていた小松左京や筒井康隆といった作家たちが著者が発掘し育てた人々で、60年代はまだまだ成長途上であったということです。
つまり60年代当時、日本のSFはまだまだ緒についたばかりであり、英米や東欧に比べると社会的認知度も評価も低い時代でした。現在の視点から見ても不当な偏見と差別の目を向けられていて、なんとかSFの地位を向上させようと東奔西走していた著者は激しい憤りと焦慮の念を多方面に向けてぶつけていきます。
SFに対して批判的な人々や団体に対して、牙をむくかのように激烈な言葉で反論していく著者の姿勢は狷介不羈ともいえるほどであり、読んでいて時に鼻白むほど。あまりの熱さに火傷しそうです。
しかも「S-Fマガジン」といういわば公器である雑誌の誌面で、時に品位もへったくれもないとばかりに過激な言葉で相手に矢を放つことがほぼ常体化したかのくだりも登場するに至り、一線を越えているという感じもしなくはありません。
それもこれも、それほどの力を込めて持論を展開していかなければ産声をあげたばかりの幼子である日本SFがあっという間に潰えてしまうという危機感と、“我が子”をなんとしても成人させてみせるという“親”としての責任感とがなせるわざだったのでしょう。
日本SFの黎明期にこんなに熱く、また厄介極まりない男がいて、今日の日本のSF界を創っていった。そのことを教えてくれる大変興味深い一冊でした。
なぜ今ごろ
★☆☆☆☆
福島正実が星新一さん、小松左京さん、平井和正さんなど活躍していた作家を覆面座談会でこき下ろした事件はよく知られている。左記3人の作家は好きなので星はひとつ。 でも何だって今ごろ復刊するんだろ? 復刊するなら福島がシリーズにしたポケット版のハヤカワSFシリーズをするべきだろう。
日本SFの本質とは?
★★★★☆
私は本書の単行本が刊行された年(77年)に生まれた。天の邪鬼な私は、90年代のいわゆる「SF冬の時代」に多少熱心なSF読者になり、翻訳者としての福島氏を知った。しかし、氏が編集していた頃のSFMは全く知らない。
SF冬の時代の逆風は強かった。とあるSF作家など「SF作家はホラーを書け。SFを書くな。」と吼えていたのだ。新作が読めなかった。旧作も次々絶版になった。しかし、そんな時代も黎明期の偏見と蔑視と無関心相手に苦闘する日々と比べれば、まだマシだったのだろう。マスゴミや他ジャンルの批評家と闘い、身を粉にしてSFの確立に尽力した氏の7年間の活動、氏によれば栄光の日々でなく、「救いがたい試行錯誤の時期−−誤認と挫折と失敗との時期」がここにある。
ところで、SFとはなんだろう。日本のSF者にその問いを発したならば、おそらくもっとも多い答えは「センス・オブ・ワンダー」だろう。(よね? ……SFは絵だねえ、だったりして)この、いわば日本SFの本質というか特質というか、SFとはなにかということが、この黎明期すでに氏によってほぼ確立しているということを本書で知った。「SFには、もともと変格も本格もないのである。SFの領域は、幻想文学と哲学とに境を接する、もっと大きな広いスペースに渡っているはずなのだ。」つまり、氏のSFに対する影響力は、いまだかくまで大きい。
SF冬の時代が過ぎ去って久しい。しかし、現代SFは拡散した。黎明期から興隆期を迎えたSFを氏が批評をもって鍛え上げようとしたように、いまSFMは盛んに批評をもりたてようとしている。と、同時に本書が文庫で再刊された。何故か? 現在、SFにとって恵まれている時期であり、同時に危機が忍び寄っている。私と同様の、黎明期を知らないSF者に呼び掛ける。本書を読もう。そしてSFの本質について再考しよう、と。
SF黎明期の苦闘が息づいています
★★★★★
50年前、SFマガジンが創刊された時、私は11歳でSFマガジンの存在をまだ知らなかった。知ったのは、それから4年ほどたった53号だった。
目次には星新一、小松左京、アーサー・C・クラーク等々の名前がきらめいていた。SFマガジン初代編集長だった福島正実の名前を知り、やがてマガジン誌上に発表された「未踏の時代」を熟読した。後日、単行本化されたときも、すぐ買って再読した。福島氏の名文は何回読んでもあきることはなかった。今回、やっと文庫化されたので、また読み始めたがSF黎明期の彼のSFを根付かせようとする奮闘がまたよみがえってきた。
氏の名前を知らない若きSFファンをはじめ、一般の読書家にも、そして氏の名前を知っている人たちにもこの本は必読の一冊です。
幼年期の終り
★★★★★
日本にSFというジャンルを確立するため、SFに対する偏見を取り払うため、闘いづづけた日々の記録です。これを単なる「栄光」などという言葉で飾るには、その日々はあまりにも厳しい。著者のかくも真剣な、文字通りすべてをかけた態度が、いまの我々への恵みの源泉となっていることに心からの敬意を払うべきでありましょう。
最近では、SFはウケないという話をきいたことがあります。かくいう私も、以前ほど熱心にSFを追っているとはいえません。つまらくなったというわけではありません。読めば実際面白いのです。思うに、SFが読む気になればいくらでもあるという勘違いをしていたのです。恵まれた状況に無自覚になっていたのです。この一冊はそんな私のぬるい状況に厳しい現実をつきつけました。それはSFの幼年期。SFのために戦わなければならなかった人々の時代があった現実をです。
この記録を読んで、我々は省みるべきなのでしょう。今の、幼年期の終わった後のSFの状況への態度を。そして何より読まなければならない。読み続けなければならない。それはかつて、そして今もSFに心魅かれ続けるものの使命として。
皆さんは今、SFを読んでいますか?