我が身の不勉強を恥じる
★★★★★
横田 順彌氏に『日本SFこてん古典』という仕事があることは知っていました。押川 春浪、海野十三の名前は知っていました。しかし、それでも私は戦後SFと戦前の間には断層があるものと思いこんでいました。
しかし……
「SF第一世代は戦前の海野作品などの面白さに気づいていたし、手塚治虫を架橋として、海野の精神と戦後SFはより明確につながっていた」と著者は明確に断じています。遡って、日本には一世紀半の歴史があった。著者は例えばこんな事を紹介しています。
明治から今に至るまで、ゆたかな翻訳文化があること。SF作品に対する批判のパターンと反論が明治期に早くもみられること。オタク文化の源流に大正・昭和初期の愛書趣味が位置づけられる(しかも人脈的にも!)こと。etc...
頁数の都合上、本書ではSF第一世代以降の展開は駆け足で眺める事になります。
二百数十頁の小冊子ながら、作者の意図した古典SFの歴史化(というのは体系的に整理・記録するという理解でよいのか……?)と連続性の確認という仕事がはたされています。何より紹介される個々の作品、個々の作家のエピソードがおもしろい。SFの書架にぜひ加えておきたい一冊だと思います。
「ドグラ・マグラ」もSF?
★★★★★
体裁はハンデイだが本書の中身は決して軽くない。
こういう良書が突然刊行されるから新書はあなどれない。
SF評論家長山靖生氏が同人誌『未来趣味』等に発表してきた原稿を土台に、今回殆ど書き下ろしたようだ。
我国のSF観史を、文化の発展と照合しながら多彩な書誌情報を交えつつ紹介。
明治の黎明期、ジュール・ヴェルヌ翻訳本の多さに改めて感心。押川春浪・海野十三・山中峯太郎らおなじみの面々はもとより、賀川豊彦・幸田露伴のように
意外な人がSFに関与しているとも。
また、昭和に入り探偵小説の時代にはその中にSFも包含されるとはいえ、小酒井不木が『アメージング・ストーリーズ』誌に触発されSF専門誌を発行する計画があった事や、
著者が夢野久作の数作をSFと捉えている点が面白い。戦後、江戸川乱歩の本格物推奨に対し海野十三が物申しているので「二人は対立したのか?」とあるが、
海野は乱歩に心酔していたからこれは単に彼なりの業界への警鐘と見るべきだろう。
探偵小説の中でも防諜スパイ小説の類は、幾つかの例外を除くと敗戦後アンタッチャブルの憂き目を見ていて読むのが全く困難。
本書を通読していると、今後そんな長編の復刻を欲する気持が強まる(変なナショナリズム的意味じゃなく)。
そういう闇の部分も歴史の一面であって、意味はあると思うのだけど。