こういう話も時代小説になるんだなあという感じです
★★★★★
物語は前半と後半に大きく分かれています。
前半は「出開帳」というイベントを開催にまつわるお話。
後半は賭場の親分衆を旅行に連れて行くという「ツアーコンダクター」のお話。
江戸の風俗、特に東海道を旅する際の細かな事情が丹念に描かれていて
大変勉強になりました。賭場の様子もよくわかります。
主人公の新三郎は頭がよく、性格もよくて思わずがんばれと応援してあげたくなるキャラクターなんです。
武士も権力争いも切腹もでてきませんが、こういうお話も時代小説として成立するのだなあと感心しました。
まったく無名の架空の主人公でこれほどまでにキャラクターを描き切るのはさすがです。
ハラハラドキドキ。
★★★★★
これまで山本一力さんの作品は読むチャンスがなく初めて手にした本でしたが、読み始めると次から次へと試練や予期せぬ問題が起こり、すぐに壮快なテンポのストーリーに引き込まれまれ、ハラハラドキドキしながら読みました。大きな難問の連続にも怯まない強靭な心と持ち前の気転でスッキリ解決している物語はとても気分爽快でしたし、また、予定外の事柄にぶつかった時の問題解決のヒントも散りばめられていて、最後まで一気に読み終えてしまいました。江戸の風情と江戸っ子の心意気、それに下町の風景が手に取るように感じられる作品です。
夕焼けを背にして立つ富士山
★★☆☆☆
著者の作品は楽しく読んでいます。
いつも気になっているので書きますが、江戸の不定時法について無頓着ではないでしょうか。
例えば七つ(午前四時)と断定的に書きます。
でも現在の時刻と江戸の時刻は季節によってかなり違うはず。
本作品では、七つ(午後四時)を過ぎた頃に陽が落ちたと書いていますが、日が落ちるのは暮れ六つ前と決まっていたと思います。
また、「秋から冬至の夜長時分に比べれば、およそ半刻(1時間)は夜が短くなっている」という表現は不定時法とは異なるものです。
なぜなら冬の半刻と夏の半刻は長さが違うからです。
また、明け六つを日の出としているのもおかしいです。明け六つは日の出より前の薄明の頃です。
最後に大詰め近くで「夕焼け空を背にして立つ富士山が背後からの光を浴びて影絵のように見える。色味はほぼ墨色だ」という記述があります。
これは清水湊から見たことになっていますが…清水から見ると富士山は東にあります………
歴史的記述に幾つかの疑問
★★★☆☆
壱と弐の二部の中編から構成される。壱は「出開帳」というイベントを成功させるまでの苦労話。弐は大物親分5名を案内して江戸から久能山までの道中もの。相変らず山本氏の登場人物は人並以上の心付を振舞って物事を推し進める。話の運びは面白い。ただ、歴史的背景に幾つか疑問がある。1.享保4年(1719)以前には両国広小路はなかったはず。2.大山講の開山は6月28日〜7月17日なので冬場に先達が出かけたというのは疑問。3.江戸時代に荷馬車というものはなく、荷物は馬の背で運んだはず。
「器量」(器の大きさ)がテーマの娯楽小説
★★★☆☆
◆山本作品に新しいヒーローとヒロインが登場した。
今度の二人は、二人とも「堅気」ではない。
新三郎は女衒だったが、その仕事から足を洗うため女衒の元締・土岐蔵とひとつの約束をし、
それを果たしたら足を洗えることとなる。
◆意を決して江ノ島に女郎探しに出かけた新三郎は、土地の賭場で女壷振り・おりょうと出会う。
心を通わせた二人は江戸に戻り、江ノ島弁天の出開帳を企て、見事成功させる。
◆新三郎とおりょう こと おりゅうの器量を認めた香具師の元締めたちが、
新三郎に箱根越えと駿河・久能山東照宮詣での旅の先達を任される。
親分たちの機嫌をとりながらの道中は気の抜けないことばかり。
しかし、様々な難儀を機転と度胸で切り抜けた新三郎とおりゅうに、
「江戸の四天王」と恐れられる親分たちも全幅の信頼を寄せるようになる。
◆道中の出来事が人と人の絆を作り、強めていく過程を描いた秀作といえる。
ただし、ちょっと話がうますぎる、という気もする。