親鸞と柳田國男を楕円の焦点として
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著者は、浄土真宗の末寺の長男として生まれながら、跡を継がず教団を離れることによって、親鸞の教え、宗教のあり方を追究しようとした。現代における専修念仏思想の可能性に形を与えようとし、法然や親鸞の読解としても実践されている。
他書と違う本書の特徴は、逆説的に参照されている柳田國男である。祖霊崇拝を日本古来の美風とみなす柳田が、仏教の影響を伝来の共同的習俗を壊すものとして否定的にとらえ、とりわけ個人的救済に軸をおく浄土真宗を忌避してきたことを著者は受け止めている。著者は、双方を二つの極として楕円構造の緊張関係としてとらえ、日本の宗教的意識を相対的に解明しようとしている。
本書では、このような視点から、専修念仏の誕生が、「宿業」の観念と「忌み」の精神の関係から把握し直され、親鸞の「煩悩論」が、一方では仏教本来の清浄心への希求に回帰する側面をもつとみる。同時に、伝来の清浄心(斎み)への希求に応えるものでもあることなどが示されている。
中世の「聖なる世界」の構造をトータルに把握し、その中で親鸞が切り開いた「絶対他力」という「普遍への回路」を明らかにする一書である。