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人はなぜ宗教を必要とするのか (ちくま新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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下書き  ★★★★★
多くの日本人が共感しやすい立場で書いてある。読んでもった感想をば。
日本人は無宗教だというが、決して無宗教ではない。
知らないうちに、カルト・サブカルチャーや年中行事で接しているはずだ。自然崇拝も宗教の全段階だ。
人間は宗教的な心の動きから、無関係ではいられないと思う。科学至上主義者は、科学を信仰しているともいえる。
宗教とは何か。レビューではまとめられないが、シンプルな答えがひとつある。祖先崇拝だと思う。

宗教とは何か。本書よりシンプルな答えがあると思う。
宗教=祖先の追悼だ。
人間が代替わりした時、その土地を開発して子孫に残したということで、子孫から感謝される。死者は追悼される。
宗教の争いは宗教の教義が衝突するのではなく、祖先崇拝を断ち切られるから争いが起きる。
祖父祖母のお墓に軽く手を合わせて追悼することすら許されない人間があろうか。
在日の人が父母の苦労を強調するように、私も何代にもわたる父母の苦心がある。それを侮辱され、墓に唾を吐きかけられるような真似をされたら、穏便ではいられない。
私は感情と理性を備え、血が通った人間だからだ。

以下、私も仏教徒なので心の広い仏教徒は穏便に聞いてほしい。
この国は、紛争地帯的な仏教新興国だ。
私の宗教の3分の1は仏教だ。
般若心経やもうひとつ何か位は暗記したことがある。戒名も知っているし、系譜帳も知っている。だが「日本へ歪曲して伝わった仏教」へ疑問を持っている。
1、仏教徒にも関わらず、戒律を守っている和尚様が居ない。禁酒すらしない。(イスラムは護るし・・伝統的な民族衣装を着ているほど)
2、原始仏教のように葬式では「悲しみをあおりたてる」。傷を広げる。
お通夜が終われば、葬儀に多額の費用がかかるだけで、一回きりで人が散ってしまう。問題があると「他の人もそうだから我慢せよ」と言うだけで、問題を放置する。問題が解決しない。
仏陀自身は王子で何人も妾がいて、宮殿では良い着物をきていたのに。自助的コミュニティすら紹介しない逸話がある。
3、お経は中国語らしきものから、訳されていない。和尚さんの怠慢に見えた。内容は「仏陀は至高の存在云々」。
4、仏教にも争いの歴史はある。イメージが歪曲している。
ヒンドゥー教のように以前の自然崇拝を「野蛮」呼ばわりして貶める。自分は肉を食べて、お酒を飲んでいるのに他を軽蔑している。
教義と現実の不条理から抜け出せない。
5、即身成仏など、乱暴な修行方法・埋葬方法がある。何百年も前のミイラがお寺に飾ってあるなんてあんまりだ。(と思う人は向いていない?)
6、日本の仏教の宗派には、カルト的になり果てたもの・猥雑なものが含まれている。にも関わらず、他の宗教を野蛮呼ばわりして貶める。
7、相手の感情に無関心。相手が困ったり悲しんだりしているのに、微笑しているのは失礼だ。
殺生をタブー視しているわりに、教徒は戒律に無関心でパチンコも飲酒もしているだろう。日本の仏教はもともとの教義や儀式の原型をとどめてない。

ちなみに、ガンジーはヒンドゥー。

否定的なところに注目したが、日本の仏教徒は高慢さに気付かない。
韓国は儒教なので、中国の道教に近いのか。日常的で徹底しているし、現実を良くする努力を惜しまない。

もちろん良い部分もたくさんあると思うが、教義内容は物足りない。関わる頻度も足りない。
だから、仏教はいろんな宗教と共存するのかもしれない。私は、お寺を何十か所も回って台帳にスタンプかサインかお経かをもらう行脚も知っている。
心が安らぐ集まりだって、もちろんある。和尚様によっては、行事に人を集め地域コミュニティをしっかり作っている。お隣同志の助け合いは檀家システムが作った。(他の宗教に比べ特別なことではない)
ゴマ豆腐も好きだけ。五時の鐘の音は、情緒があって良い。
お寺は本当に綺麗な場所ばかりだ。庭の芸術性は素晴らしい。(質素な生活を目指して、エピクロス派に似てるのかなぁ・・?)
「禅」思想も好きだけど・・教義の内容は疑問をもつ。人間は先天的な資質を超えられないのに、否定してしまっては辛いと思う。
著者は浄土真宗なので、仏教徒ならではの宗教感が書いてあると思った。
浄土真宗が色こく ★★☆☆☆
著者が傾倒する浄土真宗を基礎にした解説が多く、他の宗教を通じての俯瞰がなされていない。 文学の引用は無意味ではないと思うが、それが現代社会の抱える問題とどうリンクされるのかという考察と説得力に乏しい。 著者は学者というよりは文人なのだと感じた。
自然宗教は、Engaged Buddhismへの入り口 ★★★★★
著者は“日本人の宗教意識が「無宗教」であることを指摘し、それは「創唱宗教」よりも安全で束縛の少ない年中行事的な「自然宗教」を親しく感じるからだ。”という。確かに、私が小学生だった1960年代の北海道ではどの家庭にも神棚と仏壇があり、宗教としての教義を意識したことはなく、神々や先祖に毎朝礼拝供養してから朝食を頂くのが習慣だった。また、著者の“死を目前にしたり不条理に満ちた人生が、宗教の踏切板になることがある。”と言う言葉で、親戚の叔母が長男を潜水特攻隊で失ってから、大本教を深く信仰し、何度かの奇瑞を得て救われたという話を思い出した。そのように、宗教を意識するのは極めて特殊な状況であった。
ここで、著者創出の「自然宗教」という観点は、『沈黙の宗教 ―儒教―』(加地伸行著)の指摘と深く関係すると思われる。加地氏は、“儒教と道教を取り入れた中国仏教が、平安仏教として日本に根を下ろした出発点となり、以後、儒教流の祖先祭祀に基づく先祖供養や道教流の現世利益に基づく祈祷が、日本仏教の大きな柱となってゆく。こうして儒教文化を取り入れた日本仏教は、1)招魂再生の「神主」を真似た「位牌」を作り、2)形魄の「廟」を真似た「墓」を作って礼拝(祖先祭祀)し、3)「盂蘭盆経」という偽経まで作って儒教式喪礼を取り入れた「葬儀」を行う、という特徴を持つ。だから、日本仏教は、インド流の「仏(悟りを拓いた聖者)」の他に、儒教の「ホトケ(位牌に託されている霊)」≡儒教における「死者の魂」をも取り入れている。”と指摘するが、これは「自然宗教」の一面の特徴を見事に捉えている。

著者は“私個人としては、「凡夫」という人間観に根ざした「社会倫理」の可能性を追求したいと考えているのです。「社会倫理」とは、個人の道徳ではなく、個人が様々な集団や社会に、どのように参加して行けばよいのか、その集団や社会をどのように変えて行けばよいのか、を考えることです。(p.167)”と述べるが、これは著者が『社会をつくる仏教 ― エンゲイジド・ブッディズム』で示した未来ビジョンである。このEngaged Buddhismはティク・ナット・ハン師が創始した仏教の社会運動であるが、私も21世紀にブッダ釈尊が登場されたら、こうした実践を始めるに違いないと思っている。
「宗教」にこれから触れたい人へ ★★★★☆
「宗教」というのもの中身を著者のアプローチから掘り下げた本である。
日本の精神生活を「無宗教」という言葉で済ます今日の日本の風潮に対し、新しい精神生活のあり方を提唱するもの、とある。
著者が浄土真宗の末寺の息子ということもあり、浄土真宗・浄土宗の信仰(念仏)の視角から宗教に迫っていく。
「宗教」といっても仏教、特に浄土真宗(浄土宗)の色彩の濃い著書である。

この著書では、「死」とは何かから始まり、宗教全般に対する誤解を解き、先人たちの宗教への目覚めを取り上げ、信仰への条件を論じていく。
そして、精神生活のあり方の一つとして、法然・親鸞の教えを紹介する。
いきなり特定の宗教家の教えに触れるのではなく、何故宗教は必要とされるのか、という視点から展開し、そこから法然・親鸞の教えを簡潔に紹介している。
今まで「宗教」とは無縁だった、関心がなかった人にとっては、入りやすい書だと思う。