最後の変なオチ
★★★★☆
最後のオチはくだらないとしか・・・
あと一巻に比べて絵が少ないです。
まあ全体的にみたら最後のオチ以外は面白いのでこの評価で。
遅ればせながら・・・
★★★★☆
もう主に読まれる時期を逸していると思いつつ、自分の感想を人に読んでいただける場なのかと思って書かせていただきます。
世の中のままならないこと、不条理なことに対して、普通人は挑戦したり、泣き寝入りしたりして、あがいているうちに他の現実が頭の中を占めてきて、ごっちゃになってしまったり、流れて行ったり・・・、こういうのを受け入れるというのかわかりませんが、これが現実との付き合い方の多くのパターンだと思います。
主人公は「赦してやる」ことによって、現実を保留していますが、だんだんと不条理さを増す現実を「赦す」たびに、内圧が高まっていき、最後に最大のナンセンス(不条理な世界を作り出したのが自分自身の世界をうわついたものととらえる態度)にぶつかってとうとうぶちぎれます。
そのあとの表現がみごとで、主人公の現実に対する新しいスタンスが「受け入れて死ぬ」のでも「受け入れて生きる」のでもない、新しい挑戦とも逃避ともとれるような形をしめしていて久しぶりに価値観が宙に浮くようなふわふわした気分を味あわせてくれました。
僕はレビューを先に見てしまって本書を読んだのですが、この本を読むならそのくらいが受け入れやすくてよいかもしれません。(何も知らずに読むと中盤はだれちゃうかも)でも、現代人の現実との付き合い方を非常に面白い形で抽象化しているところがあって、現実や、自分自身を見つめる上でもよい本だと思います。一読の価値あり!
世界はぼくらに委ねられた
★★★★★
初めてこの著者の作品を読みました。
ヒロインの、きわめて独善的・自己愛的で鼻持ちならない独白。たぶんそのせいで、いかにも「ちょっとサブカル系のアート方面っぽいところを狙ってみました」か、あるいは「ボクってこんなに病んでるよ。ちょっとかっこいいでしょ」か、その辺のかなりイタイ作品だと、そう思いながら読んでいました。シミュラークルとシミュラクラの話なんて今さらほとんど語り尽くされたテーマだし。エスカレーション型のSFとしても陳腐で先の見える展開だし。途中まではそう思わされていて、センスの鋭さには感心したけれど、読み応えのある作品には思えなかったのです。
途中まではね。
ところが、オチで完全にやられましたね。こんなふうに世界を異化することができるとは! 衝撃的でしたよ。最初に出てきたさりげない描写に、ここでつながるんですね。そしてようやく現れるヒロインの真の叫びに、世界と読者はこのような形で救われる。ヒロインはこの世界を攻略しクリアし、そこを飛び出すでしょう。そのあと、救われた世界をどのように「回転」させていくか、それはぼくらに委ねられます。
他の作品も読んでみたいと思わせます。傑作。
転換作?
★★★★★
もはやマンガではない。
「みんな怒るのかな」とSTUDIO VOICEで作者自身が語っていたオチ。
隙間芸のレベルを超えて、異様な空間を生み出している余白の多さ。
およそ消化(消費)できそうにないストーリー。
「アトモスフィア」には、今までの西島大介の作品に漂っていたようなゆるい空気は一切存在していない。そのかわり、むやみに不穏な空気が張り詰めている。
「“赦し”の物語」と銘打たれているが、「赦す」ということは「批評しない」ということだ。言い換えれば、「批評すること」を批評しているということでもある。
それはある意味で作者自身の過去の作風(土曜日の実験室―詩と批評とあと何か)の否定であるかもしれない。
ただ問題は、「アトモスフィア」以後に西島が何を描くべきか、だ。
すべてが赦(ゆる)されている世界
★★★★★
前巻で主軸となっていた「分身」の存在が、とうとう宇宙規模にまで発展して行きます。
主人公は、そんな崩壊していく日常をすべて「赦して」います。
そしてラストには「衝撃(!!)の真実」が明らかになります。
自分としては、今までのストーリーの内容がどうでも良くなるくらいのラストでした、マジで。
「世界は何だって起こりうるんだよ」
「そういう風に世界は出来ているんだよ」
というのが、この作品のテーマだと思います。あくまで個人的には、ですけど。
そういう意味では、著者の「凹村戦争」に通ずるものがあると思います。
「凹村戦争」とあわせて読むと面白いかもしれませんね。