後半の3篇が読ませた
★★★★★
構成は、忍びの者系2篇、新撰組系1編、古代・中世系3篇の計6編。司馬氏と云えばまずは戦国〜明治の大河小説というイメージがあったのだが、個人的には後半の3篇はそのイメージをいい意味で裏切るものであり、それらの濃密な小説世界に一瞬世俗を忘れた。
「二つの血を兼ねる場合、顔の似ない人種に対しては劣等感をもち、顔の似た人種のほうには憎しみをもつのではないか」(160頁)。
「黄な色でござりまするな」「病には勝てぬ。准泥観音も諒とし給わろう」(247頁)。
「摩刮すべし」(254頁)。
後半3篇の中から一篇を選べと云われれば、私は「牛黄加持」を選ぶものである。
官能小説「牛黄加持」
★★★★★
「牛黄加持」は、若き日の私にとって
自慰小説というジャンルの官能小説でありました。
司馬遼太郎は忍者が嫌い?
★★★☆☆
忍者がいたのか?というと、記録上は不在であるべきだろうと思っている。
名を隠し、影のように行動するのが忍者なのだから。それを名乗っちゃダメだろう。と思うのだが、有名どころは名を残している。
上忍と呼ばれる人たちは経営者であり、マネージャなのだから事務職で、忍術なんてやっている場合じゃないのだけれど。
服部半蔵の小説では、すごすぎる技を使ってみせるモノがある。
その点、司馬遼太郎は違うのだ。司馬遼太郎が忍者小説を書くなんて意外も意外なのだが、読んでみればよく分かる。
やっぱり司馬遼太郎なのだ。
術を持って活躍するのは下忍だとか、上述の忍者だから活動記録が残っていてはダメなのだ。
という主張なのだ。そういいながら、「数少ないが記録が残っている」と話を進めていくのは、うまいとしかいいようがない。
そういうわけで、恐るべき忍術をもった人の短編小説なのだけれど、忍者というモノは催眠術師じゃないのか?
これが池波正太郎だったら、鍛錬と忍耐の人が忍者ということになるのだけれど。
どうやら、司馬遼太郎は忍者なる者を認めていないようだ。
司馬、独立直前の短編が6編。
★★★★★
昭和35年11月から翌36年3月の半年足らずに発表された初期の短編集である。
この時期、長編「風の武士」と「戦雲の夢」を連載しながら、十作もの短編を発表している。司馬は非常に多作な作家であったが、創作のエンジンが猛回転し始めたのがこの時期だ。
2ヵ月後の36年5月、勤めていた産経新聞社を退社して作家生活にはいる。その意味でも記念碑的な作品集といえるだろう。
以下、収録作品を発表順に紹介する。(発表年は講談社文庫巻末年表によった)
1)朱盗(昭和35年11月)
740年に大宰府で反乱を企てた藤原広嗣。百済の渡来人との奇妙な交流を描く。司馬は後年、日本人が成立したのは鎌倉以降、とよくいった。日本人成立以前の上代を題材にとった数少ない作品のひとつである。
2)壬生狂言の夜(昭和35年11月)
新撰組隊士と若後家の心中譚。新撰組を取り上げた最初の作品である。
3)牛黄加持(昭和35年12月)
帝の女御に懸想する青年僧の妖しき呪術と官能を描く。純文学的味わい。
4)飛び加藤(昭和36年1月)
上杉謙信と武田信玄に仕えた実在の忍者、加藤段蔵の伝。
5)八咫烏(昭和36年1月)
記紀神話の時代、日本原住の出雲族と朝鮮渡来の天孫族の戦いと融和を描く。
司馬の新聞記者時代の先輩で、大国主命を先祖に持つと称する出雲族の末裔W氏の話に触発されたらしい。同じ36年1月、中央公論誌に「生きている出雲王朝」という論文があって、小説よりも、この論文の方が司馬らしくてよい。
6)果心居士の幻術(昭和36年3月)
戦国の武将、松永弾正に仕えた実在の忍者、果心居士の伝。
なお、文庫で本書のみに収録されているのは「朱盗」と「八咫烏」である。2は講談社文庫「アームストロング砲」に、3,4,6は文春文庫「ペルシャの幻術師」にも収録されている。
不思議な世界
★★★★☆
忍術の不思議な世界を司馬氏が描写する。