写実的
★★★★☆
よい文学とは、何だろう?
それが虚構であるとしても、作者の構成した世界に入り込んで、しばしの間異次元感覚に浸れるのが文学であるなら、そのリアリティ(現実感)の生々しさを評価の基準とすべきであろう。
ストーリーは、読めば分かるが、柳文学共通の、崩壊する家庭の人間模様と問われる「個」が主題となる。
古典的文学作品には常に作者の「主張」が込められていたのであるが、柳文学には、ただ写実的な描写があるだけで、「私はこう思う」というような押し付けも主張もない。
読了した読者には抽象的な感覚だけが残る。
濃密な空気
★★★★★
タイトルの「ゴールドラッシュ」は、多分に舞台である横浜黄金町によるものだと思います。
そしてもう一つ、強烈なハレーションを伴う残照。
この小説が発表された当時、酒鬼薔薇事件を始めとする猟奇的殺人事件が相次いでいました。
そしてこの物語の主人公の中学生も、親を殺します。
しかし、猟奇ではありません。
そこには作者柳美里の血筋が色濃く反映されています。
物語自体は決して万人受けをするものではありませんが、
「強烈な残照」が遍く本全体を覆っています。
個人的には金本というヤクザがものすごく魅力的でした。
思春期のエアポケット
★★★★☆
僕は横浜に住んでいるが、未だ港湾地区には行ったことはない。伊勢佐木町のその先にあるというのは聞いたことがあるが、柳美里が描くその
黄金町というものがありのままのそこであるのならば、僕は自分がまだその場所には行くべきではないと思った。
腐臭が漂ってきそうですらある彼女の描写からは、そこが人生の終着駅、人が最期に訪れる場所にしか思えてこないのだ。
これは父殺しの小説だ。黄金町を寝床にする怪物、パチンコ店でのし上がり金と権力と性を思うがままに操る強欲的な父とその息子である「少年」。
彼はその父を殺し、支配から逃れたのはいいものの、その死は肉体的な死でしかない。精神分析の教えに従えば、正しい仕方で埋葬されていない
その父は象徴的な死をむかえていない。
まだ象徴的な父が生きているのである。少年自身の中において・・・。
だから父の存在が消えても、その後の少年の振る舞いが、まるで生前の父を模倣し、代役を務めているかのように、乱暴になり、性にまみれていく。
彼が父の愛人麻衣に筆おろしをしてもらったという事実が、それを象徴している。
衝動的な犯行と、あまりにも稚拙でまるでユートピアのような(犯罪が発覚せず、響子や兄・幸樹たちとのささやかながらも幸福に暮らしたいという)願望。
少年はまだ子どもなのか?
彼自身はもう子どもではないと言い切った。では大人なのか。否、彼は大人をバカだアホだとさげすみ、見下している。彼は大人でもない。
では少年はいったい誰なのか。
子どもと大人の間の空白地帯、誰もが一度は落っこちるであろうそのエアポケットを、柳美里はかくもグロテスクに描ききった。
世界観の好み。
★★★☆☆
某誌のキャッチコピー「14歳の心の闇を書いた作品」。
其れから連想させられるイメージとして
鬱屈し徐々に病んでいく主人公を想像したが
物語の世界観(場所)からして「闇」である。
よって、主人公が特別に異端であるとは捕らえにくく
日常から掛け離れている感じがする。
後で「感動もの」と知って、少し納得しなくもない。
一言で言うならば
★★☆☆☆
コインロッカーベイビーズ。あれがダメならばこれはダメ。
僕はこの人の文学感が理解できない。文章がグロテスクでとてもじゃないけどついていけない。文字のすみずみから臭気があふれ出してくるようである。別に文章が下手なわけではない。生理的に受け付けないのだ。
このなんとも言えないグロテスクさには辟易する。小林泰三の玩具修理者や沙藤一樹のDブリッジテープなんか僕は読める。ぐろいけど読める。でも、この人の文章は村上龍と同じで、デフォルトでぐろい。ついていけない。それから、もっと普通の14歳かと思いきや、全然違った。