普通の人には手の届かない存在
★★★★★
躁うつ病患者には著名な文筆家や芸術家が多いです。
躁うつ病患者の科学者で
私が初めて見つけたのがケイ・ジャミソンです。
ただ彼女は精神障害を持ちながらも
精神医学で教授となり、成功を収めました。
そして多くの人達が、彼女の生き様に感動しました。
彼女が多くの科学論文を残しているのも事実です。
ただ彼女の精神医学論について
オリジナルな発想がどれくらいあるのは分かりません。
彼女の躁うつ病は躁状態が始まっています。
うつ状態の時には自殺未遂を行っています。
うつ状態の時でも、頑張って、大学の講義を行うなど
仕事を休んだりはしていません。
彼女は基本的にリチウムを服用し、気分を安定化してきましたが
抗うつ剤をあまり服用していないような感じがします。
それは時代が現代と違うという背景もあると思います。
彼女は結婚後、離婚しましたが、恋人が何人かいたようです。
恋人に関する文面は多いですが
夫であった人に関する記載はありませんでした。
彼女は多くの友人と家族に支えられています。
最後の謝辞に述べられている友人の多さには圧倒されました。
それは彼女の人間的な魅力と彼女の努力によるものだと思います。
彼女は躁うつ病患者にとり、あこがれの存在です。
ただ彼女はあまりにも超越しており
普通の人には手の届かない存在であると感じました。
薬物療法の重要性−その嫌悪感との闘い
★★★★★
躁うつ病治療者の専門家として薬物療法の重要性を知っていながらも、我が身のこととなると強固な抵抗感・嫌悪感が先立ってしまい何度も服薬を止めてしまうという著者自身の体験が、私にとってはとても役立った。私自身も炭酸リチウム・リーマスを服用しても、手が震えるなどの副作用もあって、何度も何度も勝手に中断し、その度により悪い状態で再発するというのを繰り返してきた。しかし、薬物療法への嫌悪感は私だけでなく、著者を含む多くの躁うつ病患者にとっての大きな課題であることがわかり、励まされた。
「(躁うつ病は)生物学的なところから起こる病気であるにもかかわらず、その体験は心理的なものであるかのように受けとめられる」(p.5) 「薬なしでは自分の人生はないのに、それなのに、ずいぶん長くそのことがわたしたちにははっきりわかっていなかった。炭酸リチウムを飲む必要性を判断できなかったことは、わたしにとってたいへん高いものについた」(p.97) 「疑いもなく、躁うつ病は内科の病気であるとわたしは考えている」(p.112) 「個人的体験と臨床経験から、わたしは自分が繰り返し、躁うつ病が死を招くものであること、混合型の躁病期にともなう恐ろしい興奮状態、気分をコントロールするための炭酸リチウムや他の薬剤の服用に対する患者のためらいに対処することの重要性、それらを強調せずにはいられないのだということに気がついた」(p.183) 「わたしは躁うつ病を、もっと厳密にいえば、自殺未遂、精神病、この病気とその治療の心理的側面、炭酸リチウムの不承諾、躁病と循環気質の肯定的な特徴、心理療法の重要性を研究対象としてきた」(p.223) さらに躁うつ病の治療薬として炭酸リチウムを提唱したデンマークの精神科医モーガン・ショーとの躁うつ病の遺伝についての語らい(p.205-7)などは大変に参考になった。病気を公にすることによって職を失うかも知れないという大きな不安を抱えながらも研究を続け、勇気をもって本書を著してくれたケイ・ジャミソンに改めて敬意を表し、感謝を述べたい。
わたしならどうするか?
★★★★☆
みずから躁うつ病であるアメリカを代表する精神科医ケイ・ジャミソンの自伝です。ときに深刻に、時にユーモアを交えながら、彼女は自らが病気とたたかう姿を鮮やかに描いています。炭酸リチウムという化学療法に抵抗しながらも、やがてこれをうけいれることで彼女の病気は安定してきます(治るわけではありません)。
ですが、一番重要なのは、この化学療法自体ではなく、彼女を愛する多くの人々の支えなのです。家族だけでなく、彼女の恋人たち。彼らの彼女を見守る目はあたたかく、心打たれます。現代にはおおくの躁うつ病の人がいるようです。彼らを遠ざけるのではなく、どのようにして私たちの仲間として受け入れていくかの手がかりがここにはあると思います。
読み物としては面白い
★★★★☆
一般の患者とはかなり異なり、(躁うつ病のせいもあり)創造的で非常に優秀な医学部教授の躁うつ病の体験記であり、病気がかなり美化されている。躁うつ病を知らなかった人が読み物として読むなら一級品だが、躁の時でもけっこう理性が残っていたようでもあり、本人が激しい躁で暴れるので困り果てているような家族が読んでも、ほとんど何の参考にもならない。
残酷で魅惑的な病気の記録に胸打つ
★★★★★
患者が周囲の人々に病気を告知する際の悩み、他者からの無慈悲な言葉の痛み、愛情が持つ癒しの力など、患者視点ならではの記述を通して、躁うつ病を宿した人間の姿が描かれます。本書のおかげで、私が持っていた「躁うつ病は躁とうつが繰り返される病気」という無機質な理解に血を通わせることができたように思います。
中でも感銘を受けたのは、躁状態についての記述でした。素晴らしく頭はめぐり、情熱、活力、全能感に満たされた奇跡のひととき、これが患者にとっての躁状態でありましょう。老人が若人に憧れるように、病状が安定した後も残る躁への未練。たとえ躁が、暴走と狂気を経て漆黒のうつへ繋がる苦しみと背中合わせだとわかっていたとしても消せぬ、強烈な誘惑。
なんと「残酷で魅惑的な病気」でありましょうか。患者はなぜ薬を拒むのか、なぜ治療を放棄するのか、理解する上で大きな示唆となりました。
健康な方や治療者にとっては患者の理解を深め、患者にとっては病気といかに付き合い生きるかを示唆してくれる良書だと思います。