確かに新書としては非常にマニアック
★★★★★
本書のポイントは2つ。
1.現代の自然科学の成功因をアリストテレス的自然観からデカルトの心身二元論的世界観への転換として捉えること
2.デカルトの心身二元論以来問題とされてきた「心の哲学」の基礎付けの問題を、他ならぬデカルト自身に立ち帰り解消すること
この2点である。前者は(単純化し過ぎだろうという批判はあれど)言い古されてきた話であるが、
後者は際立って斬新である。希代の哲学者達がこの問題故にデカルトを超克することを試みてきたのであるから、
とうの昔にこの問題がデカルト自身の「心身合一論」によって解決されていたという主張は、
たとえば私がwikiに書こうものなら即座に「独自研究」のレッテルを貼られるだろう。
これが遅れて来たデカルト擁護なのか、それとも真の考古学的発見なのかは、真摯な読者の判断に委ねられている。
ただこの本、確かにタイトルにも副題にも偽りナシなのだが、
タイトルに惹かれて手に取ってしまった人は、内容が「ゴツい」と感じること請け合いである。
というのも認知科学の成果ありきの後付けの一般向け哲学的論議ではなく、もろに哲学プロパーの人間が書いた哲学論考だからだ。
むしろこの本が対象としている読者は、最初に挙げたポイントからも明確なとおり
デカルトの心身二元論が提示する哲学的問題系に興味のある人々である。この点は留意されたい。
また、多くのレビュアーによって見過ごされていることであるが、
デカルトが可能にした自然科学という特殊な営為の特徴を平易に論じている点も本書の素晴らしい特徴であろう。
内容の濃密さと議論の明晰さ、主張の説得力には感服である。星5つ。
素朴な唯物論批判ではない
★★★★★
本書は、科学の目的や規範を明らかにし、また、デカルトと現代の脳科学を往復して、科学的真理の客観性を肯定しながらも、デカルトの心身二元論に依拠し<科学的探究とは異質な次元のこととして>心や心的活動が存在するということを示す。
注意したいのは、デカルトはギリギリのところまで心を科学的に解明しようとしたことだ。そもそも最初に神経生理学や脳科学の構想を提示したのはデカルトだと言える。心を機械論的に考え、追いつめたが、今あるこの「意識経験」とのつながりがどうしてもわからなかったからこそ心身二元論を唱えたのだ。筆者が支持するのはここだ。
他のレビューでは「唯物論への批判」、「素朴に自然主義に対抗」と書かれていますが、筆者はむしろ脳科学・神経科学の意義を認めていて、主張したかったのは、脳科学は有意義だけど、それとは別次元の問題として心的活動を考えていこう、という科学的アプローチと哲学的アプローチの共存論ではないでしょうか。
筆者は前書きで「科学的真理の客観性や科学の進歩をはっきり肯定しながら、科学的探究とは別次元のこととして心や心的活動があると考えられる、ということである」と書いています。また、筆者は「この二つの事柄は両立するのであり、また両立させなければならない」とも述べています。
やっぱりいまさらデカルト擁護は無理がある
★★☆☆☆
内容的にも唯物論への批判にしかなっていなくて微妙です。
つまり
科学が取り扱える対象には限定があるから心は科学によって物理現象には還元できず、よって心は存在する
というような議論で、では心(と身体の関係)をどう考えるのかというと「心身合一」、すなわち意思によって身体が動くのは実感によってわかるしかない、と論じています。そんな議論で満足する人はそもそも心の哲学なんかに興味を持たないんじゃないでしょうか?
甦るデカルト
★★★★★
心は科学的に説明され得るか、という哲学上の問題を解説した本。まず「科学的に説明する」とはどういうことかをアリストテレスまでさかのぼって議論するというかなり硬派な本でもある。最近の心の哲学の動向までふまえて、かなり本格的な議論が展開される。
著者がデカルト研究者であるためか「デカルトに帰れ」という結論になっているけど、たしかに物的因果と心的因果を峻別したデカルトの思想は、極端な還元主義と神秘主義をともに退ける効能を持っていて、自然科学の立場からは受け入れやすい。(著者の好意的な読みに乗せられている可能性を差し引いても)
ところでこの本の中では触れられていないけど、コンピュータの登場以降、「情報」には物理法則とは独立にそれ自体の法則性があり、しかもそれは科学的に探求可能だとする認識が確立したと思うけど、その情報独自の法則性こそがデカルトの(著者の理解する)心的因果に最も近いものなのではないだろうか。そのあたりの見解を知りたい気がする。
魅了的なテーマをここまで面白くなく書けるとは・・・
★★☆☆☆
本書は日本を代表するデカルト研究者による、科学哲学と心の哲学の入門書だ。筆者の立場は、心を科学によって解明出来るとする自然主義に対抗するところに在る。
第一部ではまず、自然科学とはどういうものかが、17世紀の科学革命にまで遡って解明され、続く第二部では、第一部での科学の性格付けを受けて、なぜ科学では「心」は解明できないかが論じられる。
このように筆者の論述は手堅いが、その手堅さは「新書」というスタイルに、果たして馴染むものだろうか。もう少し読者の興味を引くような書き方が出来なかったのか残念だ。これではまるで「教科書」だ。読者は「新書」に対して「教科書」であることを望んでいるわけではないだろう。この分野にわずかばかりの興味しか持っていない人は、本書を通読することに苦痛を覚えるにちがいない。
勿論、本書は、哲学や科学に関心のある人にとっては必読書であることは間違いない。