筆者は世界的な経済危機や議会制の破綻の到来に関して観察される反復性を、世界資本主義における約60年の景気循環を示す「コンドラチェフの波」として把握している。しかし、この第5巻で論じられているのは、そのような形式(構造)ではなく、その「反復強迫」である。経済的には貨幣が「穴」として機能し、「反復強迫」としての恐慌をもたらすのだが、政治的には王が、民主主義革命において追放された王が穴として機能する。1870年代、1930年代において「反復強迫」されたボナパルティズムを可能にしたのだ。
この巻においては、日本における歴史と反復の考察が、主として文学作品の分析を通してなされているが、見事という他ない。特に第二部の終章「近代文学の終わり」において、中上健次の『奇蹟』への言及があるが、それは想像を絶するものである。