山田風太郎の死生観に大きな影響を及ぼしたことでは、氏が医学生だった頃に体験した太平洋戦争がまず挙げられると思う。それは『戦中派不戦日記』を読めば身に染みて感じ取れる訳だが、本書の最後に収められた「戦中の〈断腸亭日乗〉」にも強烈な印象を受けた。戦時中のある日をピックアップして、日本軍の記録と永井荷風の「断腸亭日乗」の日記とを並べて行くのだが、そうすることで浮かび上がってくるものがある。この抜き書き作業をしていく山田風太郎の胸中がどのようなものだったか、いかに痛烈な告発をここでしているか、それを思うと絶句するよりほかなかった。
風太郎の幼年時代の記憶を綴ったエッセイや、「漱石と〈放心家組合〉」「漱石のサスペンス」のエッセイも実に興味深く読むことができたが、それ以上に印象に残ったのは、江戸川乱歩の思い出を記したエッセイである。なつかしさと親しみを込めて乱歩先生のことを語る風太郎の文章を読んでいたら、何だかこちらまでしみじみとしてきてしまった。 そう言えば、山田風太郎が亡くなったのは乱歩と同じ7月28日だったんだなあと、ふっと思い出した。
「風々院風々風々居士」こと山田風太郎がこの世を去って三年経つが、その作品の数々は、今も私の心の中に生きている。