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オスマンVS.ヨーロッパ (講談社選書メチエ (237))

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 講談社
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敵対と交流の歴史から見えてくるもの ★★★★★
オスマン帝国が西欧に与えた影響は何だったのか?西欧にとってそれは「トルコの脅威」というネガティブな存在に過ぎなかったのかだろうか?本書は、オスマン帝国と西欧との関係を紐ときつつ、単純に「西欧VSトルコ」では括れない複雑な当時の国際関係の実態、「再生したローマ」を自任し積極的にヨーロッパ世界の文化を取り込んだオスマン帝国の「開かれた帝国」としての実態が描かれるとともに、宗教改革、大航海時代や近代主権国家体制といったヨーロッパ近代への道筋が、西欧とオスマン帝国との関わりのプロセスの中から生まれてきたことが指摘される。単なる敵対関係ではなく、相互に様々なものを摂取し、利用する両者の関係史は非常に読み応えがある。「西洋文明」「イスラム文明」というカテゴリーが決してアプリオリなものではないことが改めて再確認できると同時に、トルコのEU加盟を巡ってしばしば呈される「トルコはヨーロッパか?」といった疑念について考察する上でも有意義な一冊だ。
オスマントルコという国家の特質をうまくまとめている ★★★★★
単なるオスマントルコの通史ではなく、オスマントルコという国家の本質と世界史上での意義を追求した知的刺激に富む書である。特にオスマントルコの発展を遊牧民族国家の色彩の強い時代・地中海世界の覇者・領域国家への変化の3つの段階から捉える視点が非常に興味深かった。

そもそもが遊牧を生業としていたトルコ民族が形成した国家である故、当初は遊牧民族国家の色合いが強いのも当然と言えよう。有能なものであれば農耕民であれ、他の遊牧民であれ貪欲に受け入れていくと言う傾向は匈奴やモンゴルにも共通するものである。オスマントルコが拡大していく上で欠かせない要素であった。

ただ、オスマントルコが拡大し、国家としての組織を確立していく過程で遊牧民族の要素は切り捨てられていく。トルコマンからイェニチェリに軍事力の中心が移行していくのはその典型である。この段階でオスマントルコを決定づける特色は地中海世界である。それまでの覇者であったイスラム世界を継ぐものがオスマントルコである。遊牧民族の特色を引き継ぐようにキリスト教徒やユダヤ教徒の力も最大限活用し菜ながら地中海世界を支配し、バルカンにも勢力を確立した時期である。メフメト2世が地中海世界への造詣が深く、スレイマン1世がローマ帝国を意識したのも当然と言えようか。

オスマントルコがヨーロッパ世界に強い影響力を持ったのもこの時期である。ローマ帝国崩壊後、地中海の辺境となったヨーロッパ世界はオスマントルコの存在を無視し得ない。特に直接境を接する東ヨーロッパ世界の他、ハプスブルク家の盛衰に大きな影響を与えているのは興味深い。またフランスのように積極的にオスマントルコと好を通じる国家の存在はキリスト教対イスラム教徒と言った単純な世界観では処理できないリアリズムと歴史のおもしろさを感じさせる。オスマントルコの存在がヨーロッパに刺激を与え、国民国家の形成を促したとなるとその関係の深さは世界史に非常に大きなものとなる。ヨーロッパがヨーロッパとしての自己を確立できたのもオスマントルコという他者の存在あってこそである。

領土拡大の終焉とともに領域を意識し、他者と自己の違いを明確にせざるを得なくなり、ついにオスマントルコも領域国家に変貌する時代がやってくる。この段階にはいるとオスマントルコは普通の国家となり、その特色は失われたともいえるだろう。本書もこの段階に入って筆を擱くのは当然と言えよう。
アラビアのロレンス ★★★★★
映画を見てトルコの歴史はとても長いことを知りました。
目からうろこが何度も落ちる本 ★★★★★
トルコ旅行に行くので買って読みました。塩野七生さんの本でトルコ史に興味を持ちました。彼女の著作は素晴らしいのですが、親ヨーロッパの立場から書いているので、その辺を補う本を探していて見つけました。従来のヨーロッパ中心史観に修正を迫る本です。欧米語を経由せず、直接トルコ語からトルコを学び研究する人が出てきたことは、うれしいかぎりです。

オスマントルコはコンスタンティノープル陥落後、ヨーロッパ地域に侵入して領土を増やし、一時的ですがローマ法王のいる国イタリアに、海と陸から同時攻撃をしかけておびやかしました。そのため西欧人は必死でトルコの情報を集めたのです。どうしてトルコは強いのか。西欧の人々はその理由を信仰の純粋性に求めます。偶像崇拝を禁じ、一切の妥協を排した厳しいイスラムの信仰。当時のカトリックは偶像崇拝を商品化して売っていたのです。キリスト教でも信仰の純粋化を図り強化しないとトルコに対抗できない、と考える人間が出ても不思議はありません。

こうしてコンスタンティノープル陥落から60年後、ルターの宗教改革が始まります。宗教改革の原因は複雑ですが、その遠因のひとつにトルコの存在があったことは疑う余地がありません。当時のトルコ皇帝はスレイマン大帝で、その治世にオスマン帝国は最盛期を迎えるほど強力だったのです。

近代以降、キリスト教国が世界を支配するようになると、かつてイスラム教徒のトルコ人を恐れ、支配されていたことが悔しくてたまらないから、トルコの悪口を誇張して広めた形跡があります。日本人はあまり自覚していませんが、これは日本が置かれた立場と酷似しています。東南アジア植民地の支配者だった英・仏・蘭・豪・米人から見ると、日本人さえ来なければ欧米植民地は安泰だったのです。それを失う羽目になったものだから悔しくてたまらず、意図的に反日宣伝を広めようとしたのと同じ構造です。この辺りの事情は、オランダの植民地人ルディ・カウスブルックの著書「西欧の植民地喪失と日本」に詳しい。
オスマン帝国の西洋史への影響がおもしろい ★★★★★
トルコ民族の起源から始まるオスマン帝国の歴史の概観も書かれているが、面白いのは第三章の「近代ヨーロッパの形成とオスマン帝国」だ。今まで勉強して来た西欧の歴史は、東欧の歴史やオスマン帝国との関係と切っても切れない関係にあることが分かる。ブルボン家はハプスブルグ家との対抗のためにオスマン帝国との同盟を結んでいるし、東欧諸国の宗主権争いではオスマン帝国の意向は大きな影響を持っていた。私は EU へのトルコ加盟に違和感を持っていたのだが、背景を理解することが出来た。ヨーロッパ史を眺める新しい視点を本書からもらったと思う。

もう一つ面白かったのが、宗教に対する態度の変化だ。本書は、オスマン帝国は最盛期にはローマ帝国の正当後継者を任じようとしていたと述べている。また、オスマン帝国は住民の宗教には寛容でキリスト教徒も弾圧は受けていない。そもそも、イスラム教にしろキリスト教にしろ、アブラハムの神を奉っているわけで、神は一緒である。世俗権力が安定している時、経済がうまく行っている時には誰も細かいことは言わないのであろう。

ヨーロッパが近世に入り、宗教改革が興ると宗教の違いが政治に大きな影響を落とす。それでも、宗教は結局世俗の権力争いに大衆を引き込む手段として使われているように見える。それは現代でも明らかにそうで、大衆は宗教とか民族とかに熱狂して、最後には高いツケを払っている。大衆と権力者の関係なんてどれだけ立っても変わらんものだ。