興味深い知見は採り入れられているが、やや冗長な感が否めません。
★★★☆☆
中年世代に属する私は、「男女は平等である(べき)」というメッセージを学校教育以来、陰にも陽にも受けてきた気がします。
それはそれで良いことだとは思いますが、そこにはある意味において過去の男女不平等・男尊女卑などに対する反動的な要素も含まれていたのでしょうね。本当の意味において、男女がお互いの能力を十分に引き出しながら両者にとって住みよい社会を作っていくには、単に形式的な平等政策を推し進めるのではなく、やはり両者の相違を認識しておく必要があると思います。そういう意味では本書は面白い話題を提供してくれていると思います。
本書では、男性の方が女性よりも「社会の第一線」で活躍しやすいのは、両者の単純な能力差というよりもむしろ生物学的な裏づけを持つ心性の差によるものと捉えています。富や名声を求めて24時間戦うような激しい競争よりも、人との関わりやそこから生まれる遣り甲斐といったものに惹かれる傾向が、女性は男性よりも強いのでは、といったことが、性ホルモンの脳に対する影響など最近の興味深い科学的知見を織り交ぜながら展開されています。
ただ好みの問題なのかもしれませんが、全体的に冗長な印象は否めません。似たような内容のインタビューも目立ちますし、インタビュー時の情景描写など本題からすると不要と思われる記述も散見されます。
また内容的にも欲張りすぎなのか、212ページにはアスペルがー症候群とうつ病の家族歴上の重なりについての記述もありましたが、それまでの記述からすると前者は男性ホルモンの脳に対する影響が強いのに対して後者は女性ホルモンの影響が深く関与するということになると思われ、内容として矛盾していると考えざるを得ませんでした。
性差は認める必要がある。
★★★★★
男女の性差を積極的に主張。
20世紀後半からの、男女は生物学的に同一でありその差は文化的に作られたものである、という主張に真っ向から反対している。
女性が昇進を拒んだり、第一線で働くような職場にいないのは、職場の性差別などが理由ではなく、ただ本人が望んでいないケースが多い。
多くの女性は、家庭を犠牲にして一日16時間仕事をするよりも、大幅な収入の減額を許容してでも、子供といることを選択している。
昨今の男女平等は、女性が男性と同じ仕事環境を望むということを前提に進められており、女性の考えを無視している。男性のように猛烈に働くことは希望しない女性が多い。
職業を選ぶ際に関しても女性は他者とのコミュニケーションを必要とする職業を好む傾向にあることがさまざまな実験により証明されている。理工系のキャリアに女性が少ないのも、ただ単に彼女らがそれらの職を楽しいと思わないからである。これらの性向を無視して理工系の職種に女性を迎え入れようとしても決して成功するはずがない。
また女性のリスクの取り方と自信についても本書では取り上げられている。一般的に女性は男性に比べてリスクを取らない傾向があり、そのためリスクを積極的にとる男性に比べて成功に結び付かないことがあるとのことだ。そして一般的に女性の方が自分の能力に自信が持てないらしい。また男性は成功の原因を自信の努力・才能等による内的要因に求めるのに対して、女性は環境・運などの外部的な要因に求めるそうだ。
真に男女平等の社会を実現するためには、男性の価値観を女性に押し付けるのではなくこれらの性差を考慮した上で女性の価値観を尊重する必要があると筆者は主張している。
やはり性差は存在する?!
★★★★☆
とても興味をそそられるタイトルだ。ただ自分の周囲に「昇進を拒んでる」風な人はいないので、どうしてかとても気になった。すると、この昇進を拒んでる女性たちは、ちょっと成功しているのではなく、スーパー・ウーマンと称したくなるほど、ものすごいキャリアを積んでいる人たちだったのだ。男性なら家庭、出産、育児など気にしなくていいだろう。でもやはり子どもを産むのは女性なのだということを痛感させられる。そしてそういう性差のみならず、環境も左右しているのだ。彼女たちの「拒否」の理由を読むうちに、昔見た映画の『赤ちゃんはトップレディがお好き』を思い出した。ダイアン・キートン演じる80年代のバリバリのキャリアウーマンが、ひょんなことから赤ん坊の世話をしなくてはならず、そこから自分のそれまで知らなかった社会の一面を見たりするうちに、自分のキャリアに疑問を持つという内容で、見た当時は、「せっかくのキャリアを・・・もったいない」と感じるほど自分も若かった。でも今はリーマン・ショックのような社会変化もあったり、自分も年をとってきて、ワークライフバランスは大切だ、と思うようになっている。
本書では卑近な例や、インタビュー、科学実験など多数、しかも詳細に紹介しているので、門外漢でも分かりやすく、なかなか面白い。
日本でも世の中に「オタク」と言われる人は男性が多い。女性でも「歴女」や「腐女子」とか言われる人はいるが、やはり男性の「オタク」数から見ると少ないと思う。それはいずれは家庭を持って、その家庭を運営していくのは女性が主導だから、ある程度社会とコミュニケーションを保たなければならないからだろうかと想像していた。でも本書ではそれ以上に、遺伝子やホルモン、その他の理由から、男性の方に識字障害や、ADHD、アスペルガー症候群が多くみられる傾向があることが証明されている。ただADHDでは、そこから飛躍的に成功をおさめている例も紹介されている。その「弱点」と見えるものを逆手に取り、他の人ができないことに転化させているのだ。
やはり、全体的に男性、女性、それぞれの性の持つ特質は例外もあるが、一般的な傾向もあるようだ。本書に登場する女性たちは優秀なのに、謙虚な態度(時に、努力で得た当然の地位にある自分をまがいもの、などと感じる)で、競争を好む男性に道を譲っているようにも見え、そう見ると、何だか男性の方がまだ有利な社会なんだろうか?と、うがって見てしまったりもした。しかし男性の方が比較すると、脆弱な性のようだから、女性がドンと構えて男性をサポートすることで社会がうまく回っている気もした。
感覚としてでなく、女性についてを考えてみる
★★★★☆
男の人と同じ職位で働いていて、男社会と呼ばれる職場でも、世間で言われているほど女性差別を感じたわけでもない。むしろチャンスを与えてくれるのも男性だったわけだから、フェミニズムという考えにそんなに同調するわけでもない。けれどどうも、自分が男性と同じ仕事を、同じだけこなすことに特に喜びを感られない。人への責任は大切だと思っている。けれど、「仕事」に重い責任をもち続けなければならないことがしっくりこない。
そう思う自分が巷で言われているような甘えている女性の「スイーツ」なのか、単に責任から逃げたいだけではないのか、この思いを持ったままこのままずっと仕事をし続けていかなければならないのか、そう感じて自分を責める女性は結構いるのではないでしょうか。そしてそう感じている人はこの感覚を「感覚」として世間に語ることの危険さを良く知っているだけに口をつぐんでいるのではないでしょうか。
本屋で「女性のための〜」「できる女性は〜」などという広告を見ると、まだそんなこと言ってるのかとちょっとうんざりしてしまうような。
この本では生物としての女性の考えや特性についてが書かれており、成功とされた自分の職務に疑問を持ち、悩み、役職を降りた女性たちの話が述べられ、そして著者は発達心理学者として接してきた、圧倒的に男性に多いという適応障害者(彼らはなかなか周囲に理解されないが、その個性でもって大きな成功を手にする者もおり、しかしそれには周囲の理解が必要だった)への理解についてもかなりの頁を割いています。つまるところとは適応ということに目を向けない限り、差別というものはなくならないのだと理論的に説明しています。
読み終わって、職業選択の自由という言葉を小学校の授業以来で思い出しました。