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ミサキラヂオ (想像力の文学)

価格: ¥1,890
カテゴリ: 単行本
ブランド: 早川書房
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舞台を現在にした方が良かったのでは? ★★★☆☆
時は2050年前後。神奈川県三浦半島と城ヶ島がモデルと思しき、
岬に暮らすたくさんの人々と、コミュニティーFM局・ミサキラヂオの物語。
なぜか時間がずれて過去の放送が流れることが頻繁にあるという設定や、
多くの登場人物たちの日常の描写は面白い。
だが、物語の年代は2050年前後という近未来ではなく、
現在にした方がもっとリアル感が出て良かったのではないだろうか。
例えば今から40年後にはそんな話し方はしていないだろうと思われる、
現代風の女子高生の言葉使い。
今でさえ日進月歩のパソコンや携帯の機能が、ほぼ現状の形で使われている点。
ミサキラヂオに寄せられるリクエストが、松田聖子「赤いスイートピー」や
プラスチックス「コピー」など、2050年からすれば約70年前の曲である点。
舞台が現代でもほとんど影響はないだろうと思われるだけに、そこが惜しかった。

それと自分には物語がいささか長すぎ、途中からやや飽きてしまった。
特に1行の改行もなしに6〜10数ページ続くところが多々あり、
さすがにそういう部分は読みにくすぎる。

潮騒とかすかな希望が聴こえた ★★★★☆
 二〇四五年頃にひっそりと開局したミサキラジオは諸般の事情から生活密着路線だった。
「ムー」や「時間ですよ」に見ていた昭和ご近所ドラマの世界が二〇五〇年のコミュニティFM局を舞台にして転写されていると思えばいいだろう。ところがなつかしさに誘われてうかつに入り込むと裏切られる。ご近所ドラマの見所でもあったベタベタの人間関係はない。なにせ特養老人ホームの住人さえ昭和末期生まれというご時世に、そいつを求めるのは罪というものだ。

高齢化だけではなく地域開発、農業・食糧、教育と今日の問題をずるずると引きずった日常が独特のスピード感で語られる。
ラジオ好きな自分はラジオが触媒として登場人物に化学変化を起こさせ、魔法の箱として機能していることに希望を持つことができた。更に、人々のラジオとの距離のとり方がいいのだ。
岬という地勢が人の心をそうさせてしまうのか。だれひとりとして、のめりこんでいない。
岬とは海上からの視線による命名で、その意味は舟人の標だという。ミサキに棲む異分子たちが語りかけることば、選曲した音楽が、時空をこえて、だれかの心に響き、だれかの生きる標になっていく。それが、なんともいい耳障りなのだ。
ラジオは耳だけの世界だ。音だけだから、想像力もふくらむのだ。
このラジオからは、ミサキならではの潮騒と、かすかな希望が聞こえた。
まさに「想像力の文学」―個人的2009上半期ベスト☆ ★★★★★
本書は『mit Tuba』で太宰賞を受賞した著者が

ある漁村を舞台に、新たに開設されたローカルラヂオ局で働く人々と

それを取り巻く漁村の人々を描いた著作。


本書で描かれるのは

とくに何があるわけでもない、小さな漁村


そして、そこで暮らす

本業のかたわら、ラジオ局を開局した社長

作家を夢見て小説を書く喫茶店のマスター

スナック経営、実業、歌手家などいくつもの顔を持つ中年男

何をするわけでもなく、だらだらと日々をすごす若者

痴話げんかで殴りあう女子高生

など、どこにでもありそうな日常。


しかし、本書が普通の物語と一線を画し

早川書房の新レーベル『想像力の文学』に収められている由縁、

それは本書の舞台が2050年である―ということです。


茫漠としたまま進むストーリーは、

終章「冬」で急転直下の展開を見せる。


半世紀先でも、今と変わらない日常があることへの奇異感と

人々のしたたかでしなやかに生きるさまへの安心感。

そして、なにより物語の躍動感・醍醐味を存分に堪能できる本作。


ありきたりな物語にはもう飽きた―

そんな方にこそ読んでいただきたい著作です。
2050年のデラシネ ★★★★☆
時は21世紀の中葉。2050年を中心にその前後の話である。
そう遠い未来ではないが、1958年生まれの私は、おそらく生きてはいまい……と
思いつつ読む。

東日本の太平洋側のある半島の突端の町が舞台だ。
今より先の時間が流れる物語であるのに、読むうち妙に過去を振り返っている
ような思いに捕らわれる。

ミサキの水産加工会社社長がラジオ局を立ち上げる。
そのさまざまな番組に関わる人々が、雨の波紋が少しずつお互いに
滲んでゆくように関係性を帯びてゆく。
個性的でけっこうあくの強い面々が関わりあう日常は、けれどもごく常識的で、
時にエキセントリックで、人の息づきが感じられて好ましい。

なぜか電波が届く時間がずれて、遠く近くの“過去”が放送されがちな
小さなラジオ局、“ミサキラヂオ”。
時間に縛られて生きているはずの人間が、そこでは奇妙に捩れた時間を
共有するのだ。
生きた証が、ぶつぶつと途切れながらも、ふいに目の前に差し出されるような
驚きと快感。
自分の「小さな物語」を懸命に紡ぐ人々に、目頭が熱くなるような思いをした。

「JOZZ3RC−FM.82.8ヘルツ。こちらはミサキラヂオ」……これは、未来からの
声であり、過去からの声でもあった。 
とても良い ★★★★☆
まるで自分が住人のようだった。土地とラジオと住人に泣けた。