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昭和精神史 (文春文庫)

価格: ¥1,223
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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敗者の系譜としての文人昭和史 ★★★★★
名著です。

まず「自分にとっての昭和史とは、昭和天皇をモニュメンタールとする、実現し得なかった、文化意志としての連続性である」という着想が第一級です。昭和改元から戦後篇の三島自決まで一環した連続する観点で書かれた、観念に堕していない歴史叙述はそう多くはありません。具体的な人物を挙げるとすれば、この戦前篇の立役者は保田與重郎と伊東静雄と汪兆銘と、先の大戦における無名の戦没者たちです(昭和天皇はモニュメンタールですから立役者とはちょっと違います)。彼らの意志は戦後の三島に見事に引き継がれ、昭和45年をもって昭和は終わる。その光源は戦前にあると断じて筆者は憚るところがない。

ちょっと嘘ですね。偏っています。これは文人の系譜です。「判官びいき」の系譜といってもいいかもしれない。戦争に負けた。文化的にも何かおかしい。皮相は負けたけれど実は敗北していない綿々と流れる系譜がある。それは思うに、という史観には、筆者が単純に右とか保守回帰とかいう以前に、罠がきっとある。ただそれが何かはよくわからない。同時に、これが厄介なのですが、読者の胸を打たずにはいられない。

ということは、同じことの表裏ですが、この戦前篇の弱いところは対中戦争勃発の政治性を描くところです。筆者の表現を借りれば何だか歯切れの悪いアポロギアに終始している。文学には結果責任を問われることがない。一方の政治は結果責任しかないから、文化的な継続性も何もありはしない。東條英機や広田弘毅は文人として確かに優れているかもしれない。ただそこを肯定的に描こうとするのは難しい。あえて図式化して述べますが、結果としての政治責任はこうだ、しかし、彼らの志や情勢に赴く姿は、と、歴史叙述をやることは、どうなのか。そうした構造が温存され、生き延びてしまう日本のあり方が、実は天皇制の影絵ではないのか。

と、そういった地点まで思考を触発される名著です。万人受けはしないと思いますが、文学と歴史のはざまで揺れ、昭和史に関心のある人にとっては、避けては通れない1冊だと思います。お勧めします。
松本清張の「昭和史発掘」と対比して読んでもおもしろい。 ★★★★★
 本書は昭和初年から昭和20年までの昭和の精神史として下記の20章に分けて評されている。ページ数にして700ページ余。
 どこの章から読み始めても資料、評論としても読み進められる。
 松本清張の「昭和史発掘」シリーズと対比して読み込んでも、視点、思想の相違を読み取ることができておもしろい。
 金融不況で先行き不透明の日本社会だが、過去を振り返り見直すことは未来を予見することができるといわれる。平成の20年間と昭和の20年間とを対比することで、今後が見えてくるのかもしれない。
「軍国主義」と昭和の「精神」 ★★★★★
戦後民主主義の常識では戦前は「軍国主義」であり、暗黒時代ということになっています。桶谷氏は左は「共産主義者」から右は「帝国軍人」まで登場させて、その常識を覆し昭和の精神を描いていきます。

戦後、過去を裁くのに熱心のあまり、過去に対して盲目になった人達がいます。そんな人達が未来に対して盲目となったのは言うまでもないことだと思います。そうならないためにも、我々は昭和の精神に向き合う必要があるのではないでしょうか。
疑問符 ★★☆☆☆
労作だと思うが、読後感から言うと、雑多に書きたいことを書いた歴史評論、或いは歴史エセーという感じだ。「精神史」とは言うもののそうとは見えないし、分野横断的に見ようというのは良いとしても、腰が定まっていないままに書いた、という感じだ。厳しいことを言うようだが、著者は多分一次資料を渉猟していないだろう。また当時の現存者にインタビューしたりといった、自分の足で稼いだ情報も無いのではないか、と思う。自分で稼いだ情報があれば、範囲は狭くても、著者の知見や物語の構成に自ずと独自性が出てくるものだと思う。哲学的な意味での「精神史」ではなく、「文学や文化に現れた精神史」というわけでもないのであれば、やはり、柳田国男のようにとは言わないが、もっと一般的な風俗なども対象に、時代を浮かび上がらせる手はあったと思う。文学者同士のやり取りとか、或る意味特殊といえば特殊な人たちの書き記したものだけを頼りに、しかもそれが一次資料で無いとなると、やっぱり、つまらないし、「時代」も浮き上がってこないと思う。記された歴史の内容も、大体市販の一般向け歴史書で知られている内容だし、高橋是清の随想録や、若槻礼次郎の伝記などを読めば詳しく出てくることもある。二二六事件や北一輝をシンパ的に妙に重視してしまうのも六〇年安保関与者のノスタルジー的反照だろうか。より若い読者としてはその世代に散々アテられて食傷気味であることも事実だ。
昭和も遠くなりにけり ★★★★★
実は本書「昭和精神史」(文春文庫版)は最近、やっとAmazon.co.jpで購入したばかりである。
過日、続編に当たる「昭和精神史・戦後編」(文春文庫版)を先に読んで、その後、前編に当たる本書(ハードカバー版)は、地元の図書館に偶々、あったので読んだことはある。

冒頭で著者は「昭和改元の年から敗戦期までの日本人の心の歴史を描こうとしている」と述べる。「それは文学史でもなく、思想史でもなく、あるいは思潮史でもなく、精神史と呼ぶのは、その時代に生きた日本人の心の姿を具体的に描きたいからである」という。

著者は、この精神の風景を対象から少し距離をおいて淡々と、述べていく。
登場人物は範囲が広く、また多い。一人だけ、印象に残った人物を挙げるとすれば、本書で初めて知った保田與重郎である。
本書を読んでの私見ではあるが、昭和という時代は思想的にも政治的にも「マルキシズム」を抜きにしては考えられないと思う。丸山真男流にいえば、日本の古層に流れる執拗低音と新たに勃興してきた「マルキシズム」との葛藤の時代といえようか。

著者の昭和は「戦後編」で昭和45年の三島由紀夫の死をもって終焉する。