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見知らぬ明日―グイン・サーガ〈130〉 (ハヤカワ文庫JA)

価格: ¥420
カテゴリ: 文庫
ブランド: 早川書房
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次なる巫女や吟遊詩人を待つも良いかも知れませが・・ ★★★★★
苦しい中書かれた文章でしょうが、これからどうなるのだろうとわくわくする内容でした
楽しく読み通すことができました
栗本さんが亡くなられてから今までグインサーガを手に取らずにいましたが、
最後まで読み通して一区切りついた心持ちです
そして読み終わって二つ強く感じ、思う事がありました

一つ死は人の意思と無関係にやって来てもぎ取っていってしまうという事、
もう一つはグインサーガの世界を愛する人達の中に種は既に蒔かれていて
それぞれ芽吹き青々とした葉を茂らせているだろうという事でした

種をくれた方は旅立ってしまわれましたが、私達の中にある枝を組み合わせて
これから先の物語を作っていくことは出来ないのでしょうか?
ネット世界のあるこの世界には未来を紡ぎ出す場を作る事が出来ると思うのですが

悲しい薄さ(本を取る手が震えました) ★★★★★
最終巻を取る手が震え、悲しいほどの薄さに、買ってしばらくの間は読むことができませんでした。
私は現在54才、この物語の第1巻が出た当時は親の事業の失敗により夜逃げするように引っ越したときでした。一家離散というような状況のときに出会い、30年近く読み続け、作者の死をもって終わる。私にとって、何という因縁の物語であったのだろうと思わずにいられません。この物語が私の人生を変えたというようなことはありません。でも長い年月、無形の何かを与えてくれていたのかもしれません。だから読み続け、この巻を手にすることが悲しかったのです。
 敢えて、レビューという観点からこの物語を振り返ると、第1巻『豹頭の仮面』のインパクトはすごかった。その後も20巻30巻と物語の展開に圧倒されて読み続けました。それに比べると後半以降は、情景描写や寄り道が多く、ついていけないと感じたこともありました。この最終巻でさえ、また迷走するのかと思わせるものがあります。正直、外伝にしても「作者の我侭?お遊び?」と思うようなものもありました。
それでも二十数年間読み続けさせるだけの筆力は相当なものだと思います。この物語に出会えてよかったと心底思います。
 作り手も読み手も歳を取ってしまったのかな。わくわくするような展開が無くなってしまって。それにしても、闘病しながらの執筆でも先を急ぐことはなかったですね。それもまた良き哉。物語を完結させてほしかったとは思いますが、他の方に続編を書いてほしいとは思いません。それは、違う『グイン・サーガ』、違う物語。
自分なりの作品の評価 ★★★☆☆
 栗本薫先生は苦しい闘病生活の中で無理して作品を書かれていましたが、30年前に考えられていた7人の魔道師と最近書かれた作品との少しつじつまが合いませんでしたが、30年前の話と最近の話をぴったり合わせるのは無理だったと思います。すごくがんばられたと思います。ありがとうございました!願わくば誰か続きを書かれることを希望します。
 今岡 清(旦那さん)は、他の作家が書くと、グインサーガーとは違うものになってしまうと考えておられたようですが、私は他の作家の個性がでたグインサーガーでも良いと思います。

 
稀有な物語 ★★★★★
30年前から著者が書き続けてきたシリーズの最終巻。
私は大昔に20巻くらい読んだだけで、その後は読んでいなかったが、最後のこの巻に惹かれて読んでみた。

あの頃の登場人物たちがどう変わったのか?
正・外で130巻を超えるシリーズの中で登場人物達は大きな破綻も無く育っていたようだ。

1冊1冊のプロットは、他の作家の小説1冊の目新しさや緻密さ、ダイナミックさを超えるものでは無い。
(だから私は途中で読むのをやめていた。)
けれど、シリーズが辿ったリアルな30年間と物語の中の登場人物の成長する約30年間がほど同じ長さで展開したという、非常に珍しい小説であり、その点が登場人物の描写に他のファンタジー小説とは比較にならない深みを与えている。
多彩な登場人物を30年間心のなかで育て続けた著者には感嘆するばかり。

昨年亡くなった著者は、この本を書いていた頃は末期の膵臓癌の痛みのため30分椅子に座り続けることも困難であったと言う。
ストーリにもそのつらさが滲んでいるのか、今作の代表人物の白魔道士ヴァレリウスは、善意や努力といった人の力ではどうにもできない敵の侵攻を感じ取って煩悶する場面が非常に多い。

栗本先生ありがとうございましたと、心から言える一冊。
ネヴァーエンディングストーリー ★★★☆☆
絶筆、まさに絶筆。
これ以上この言葉が言葉の意味として適切である状況を私は知らない。

死に至る病を抱えつつも執筆し続けた作者の気力は私の想像を絶している。
ただし、作者が死ではなく発病により筆を折っていたのであれば、もう少し私は心の整理はつけやすかったと思う。
病を抱えていたにも関わらず執筆を続けたことは、賞賛すべきことでも、感謝すべきことでもないのではないか。
魅力を持つ「商品」が存在し、それに対して対価を払う「顧客」が存在するだけであり、そこに感傷的な想いが入り込む余地はあるべきではないし、却って作者を貶めることになるのだと私は思う。

栗本薫作品の根底には常に「メメント・モリ」が存在している。
作者が、そして作品を待つ読者がモータルな存在であることを悲観しては、栗本薫作品の愛読者の名が廃る。
個も種も滅びることは善きことであり、滅びなければ尚善きことであるというのは、彼女自身の根底の思想ではなかったか。

そう思っていても最終巻を読み終えてから心の整理ができるまで数ヶ月。
それくらい、自分の中でこの作品が占める場所は大きかったのだろう。
ほぼリアルタイムで継続して数十年読み続けた身としては、100巻を超えて以降は「ただ長いだけ」の物語に堕しかねない内容に不満を抱えつつも読み続けていた。

彼女でなければここまで「異質な」「別世界の」「壮大で」「長大な」叙事詩は紡げなかっただろう。
世の中に長く続く物語は存在するし、読者に影響を強く与える物語も存在する。
ただ、ほとんどは私たちが存在する「世界」の次元の延長線上のものであり、ここまで異なる世界観を紡いできた彼女の視座は間違いなく神のものであろうし、細かい部分の齟齬があったにしろ、ここまで時間の軸と場所の軸を「文字」という伝達方法で発信し続けたその才能を、私は「異才」としか表現するすべを持たない。

読者はこれから、グインのいない世界に暮らしていかなければならない。
ある者はあるいは自らの手でそれから先を紡ぐ事に挑もうとし、
ある者は残されたところまでをひたすら反芻し、誰にも邪魔も批判もされない方法で自らの閉じた世界だけでそれから先を紡ぎ、
ある者は誰かがその先を紡ぐことを期待し、
それでも、130巻もの長きに渡って併走してきた読者は未完のグイン・サーガに対する落とし前を自分でつけるしかない。
私は自分の落とし前の付け方は決めることができた。