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中国人の歴史観 (文春新書)

価格: ¥725
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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相変わらずのオンパレード。日本で生きるための武器か。 ★★★☆☆
 中国はアヘン戦争以後被害意識に包まれ、過去は大国、今は周囲から馬鹿にされているのではないかと考えているとのこと。
 
 本書では、基本的に、日本の巷でよく言われる中国人の主張に対しての日本保守界の反論への再犯論ともいうべき書。

 疑問点は、アヘン戦争がと書かれていますが、そもそも、清朝自体、女真族の征服王朝であり、そもそも漢民族を称するのであれば、侵略されっぱなしだったことはどう反論するのだろうかということ。

 清朝滅亡後、中国というけれど、実体的に軍閥などが割拠し、中国という国はなかったことを考えると、どうも後付歴史観としかいいようがなく、中国共産党の歴史観という方が本書の題名としてはふさわしい。
中立ではないが公正な日中関係に関する本 ★★★★☆
 どうしてもこういうタイトルの本は中国政府の代弁的な
ものを想像してしまいがちであるが、勤めて中立的に
「日中ではこの様な主張が見られる。」と淡々と事実を
列挙している。それがために少し筆者の主張が見えにくいが
イデオロギー的反日勢力や日本国内のバカサヨクとは一線を
画した論者である事は間違いない。
その証拠に「贖罪意識は大事だが、それがために本音が
主張できなかったり、国債通例を破るようでは駄目だ。」
という主旨の主張をしているし、中国国内における日本人に
対する誤解に対しても「中国の日本研究はこの程度か。」と
嘆いている。

 その他、歴史認識や台湾に対する考え方は、自分とは
かなり違うが、それでも「日本人の中国人に対する誤解」を
解こうとする筆者の態度は真摯なものであると思う。

 ボクハジメさんやヤナギミサトさんも口汚く日本人を
罵る前に、弁護に終始して良いから、自分たちの事情を
キッチリ感情的にならずに説明して欲しい。
劉氏は、通州事件をどう見るか?−−対話可能な中国人歴史家の登場 ★★★☆☆
 本書の著者、劉傑(りゅうけつ)氏は、1962年、北京生まれ。1993年に東京大学大学院博士課程を修了した近代日本政治外交史と日中関係史を専門とする、論客である。
 本書を通読して気付く事は、著者(劉傑氏)が、東アジアの近現代史について、日本の見直し派が提起して来た問題、論点をかなり良く知り、それらを意識して居ると言ふ事である。例えば、支那は蔑称か?と言った問題や、盧溝橋事件は、誰が起こしたかとか、東京裁判は不当であったか?と言った問題について、日本側が指摘して来た歴史的事実や批判について、それなりの答えを述べて居る事である。しかし、それらの「答え」は、劉氏には失礼だが、はっきり言って幼稚な物で、納得出来る物ではない。又、通州事件−−1937年7月29日に北京郊外の通州で起きた、中国人による日本の民間人大量虐殺事件−−についての言及が全く無い事も、驚きである。(劉氏が、通州事件を知らないとは思へない)しかし、それでも、歴史問題に関する中国政府の主張に較べれば、劉傑氏の見解は、理性的な物で、本書の著者が、対話可能な中国人学者と言ふ印象を受けた。上に述べた様に、不満な点、反論したい点を挙げれば切りが無いが、中国人との対話の一歩として、劉氏の様な中国人歴史家が日本語で本を書いた事の意味は、小さくないと思ふ。

(西岡昌紀・内科医/通州事件から69年目の日に)
現代支那人の意識に影響があるのは近代史だけか? ★★★★☆
~中立的な記述を交えて著者なりにかなりバランスをとろうとしているが、それでもいくつもの疑問が湧いてきた。

まず著者は近代史を通じて中国は弱者の立場であり続けた、中国が弱者の思考であることを強調する、だが中国が異民族の支配を受けていた期間は近代だけではない。
「国家の分裂は決して許されない」というコンセンサスが中国人にあると言うが、~~国家のエリアは恣意的に決めているようである。台湾の外省人が中国人というのはわかる、だが本省人は中国人と言いきれるのか?本省人が中国人ならベトナムは?朝鮮は?チベットは?モンゴルは?沖縄は?九州は?日本は?

岡田英弘が同じ題材で正反対の主張の本を出している。歴史をどこまで遡るかで、ものの見かたはかくも違うのか。~

一面の真理とリーゾナブルな論旨の展開 ★★★★☆
 中国の急激な台頭が世界の注目を集める中、中国的な世界観や思考回路などについて世上さまざまな議論がなされており、最近の中国論は正に花盛りの大盛況です。本書もいわばそうした一冊であり、現代中国の歴史認識や外交を素材としつつ、中国的なモノの見方や感じ方の本質に迫ろうとしています。
 よく、「中国の行動は中華思想的大国意識に基づいている」との指摘がなされますが、筆者はこうした見方に異を唱えています。そして、近代屈辱の歴史の中、大国の矜持を保ちたいとの願望とそれを許さぬ悲惨な現実との乖離の中で培われたコンプレックスこそ、現代中国のメンタリティーの中核を成していると説きます。そして、中国の国家主権絶対的なスタンスや、身勝手にさえ見える外交上の柔軟性についても、こうした観点を加味して捉えるべきと主張しています。
 筆者は中国の方であり、当然ながら、中国の在り方について建設的な方向で議論をすすめていますが、かと言って身贔屓的なものは全く感じさせず、平易な言葉で、きわめてリーゾナブルな形で論旨を展開していきます。
 筆者の主張をどう捉えるかは、本書をお読みになった上で皆さんがそれぞれに判断すべきことと思いますが、中国を嫌いな方や中国を不気味に感じている方たちにも、ぜひ一読をオススメしたいと思います。